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3月1日は何の日

3月1日は「ビキニデー」「マヨネーズの日」「デコポンの日」です。

他には「エイズ差別ゼロの日」「防災用品点検の日」「ファミリーファーストの日」など全16個の記念日があります。

月日 記念日
2月29日 「うるう日」「富士急の日」
3月1日 「ビキニデー」「マヨネーズの日」「デコポンの日」
3月2日 「ミニーマウスの日」「ご当地レトルトカレーの日」
月日 出来事
2月29日 東京スカイツリーが完成(2012年)
3月1日 セイラム魔女裁判が始まる(1692年)
3月2日 明暦の大火 – 世界三大大火(1657年)
誕生日 偉人
2月29日 ジョアキーノ・ロッシーニ(作曲家)
3月1日 芥川龍之介(小説家)
3月2日 米内光政(太平洋戦争終結へ尽力)
誕生日 誕生花 花言葉
2月29日 ワスレナグサ 「真実の愛」「私を忘れないで」
3月1日 アンズ 「臆病な愛」「乙女のはにかみ」「疑い」「疑惑」
3月2日 ラナンキュラス 「とても魅力的」「晴れやかな魅力」「光輝を放つ」
今日の名言

吹いている風がまったく同じでも、ある船は東へ行き、ある船は西へ行く。
進路を決めるのは風ではない、帆の向きである。
人生の航海でその行く末を決めるのは、なぎでもなければ、嵐でもない、心の持ち方である。

- エラ・ウィーラー・ウィルコックス -

(米国の女性作家、詩人 / 1850~1919)

以下では3月1日の記念日の由来出来事の詳細、3月1日生まれの有名人誕生花などをご紹介します。

3月1日の記念日・行事

3月1日の記念日・行事は「ビキニデー」「マヨネーズの日」「デコポンの日」などです。

ビキニデー

1954年(昭和29年)3月1日、アメリカが南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行い、静岡県焼津港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員と現地住民が「死の灰」を浴びて被ばくしたことから。

当時、第五福竜丸は、アメリカ政府の指定した危険区域外で操業していましたが、アメリカ軍が水素爆弾の威力を実際よりも小さく見積もり、危険区域を狭く設定したため、23人の乗組員全員が被ばく。
半年後、無線長の久保山愛吉さんは「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残して40年の生涯を閉じました。

このビキニ事件をきっかけに原水爆禁止運動が広がり、1955年(昭和30年)8月6日に広島市で第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。
また、毎年3月1日のビキニデーには、世界的な反核運動が行われます。

第五福竜丸は現在、東京都江東区夢の島の都立第五福竜丸展示館に展示されています。

ブラボー実験
水爆実験のキノコ雲

【関連・参考サイト】
第五福竜丸(Wikipedia)
都立第五福竜丸展示館

マヨネーズの日

日付は、キユーピー株式会社が1925年(大正14年)3月に日本で初めてマヨネーズを製造販売したことと、日本初の「1」にちなんで1日としたもの。
おいしく、栄養があり、安心して食べられ、さまざまな料理に活用できるマヨネーズの魅力をアピールするため、キユーピー株式会社が制定。

マヨネーズには、卵黄のみ使用するものと全卵を使用するものがあります。
キューピーのマヨネーズは卵黄タイプですが、世界的には全卵タイプが主流です。

キユーピーが初めて発売したマヨネーズは瓶詰めで、当時からラベルにはキユーピーちゃんが描かれていました。

キューピーマヨネーズ

【関連・参考サイト】
マヨネーズ(Wikipedia)
マヨネーズの日(キユーピー)

デコポンの日

1991年(平成3年)3月1日、柑橘類の「デコポン」が熊本県より出荷され、初めて東京の青果市場で取引されたことから。
デコポンの美味しさを全国にPRするため、日本園芸農業協同組合連合会が制定。

「デコポン」は熊本県果実農業協同組合連合会が所有する登録商標であり、品種名は「シラヌヒ(不知火)」です。シラヌヒのうち糖度13度以上のものを「デコポン」として出荷しています。

果梗部のデコ(凸)。そのかわいい見た目や皮のむきやすさ、濃厚な甘さなどから人気の高い柑橘類です。

アメリカのカリフォルニア州では「Sumo Citrus(スモウシトラス)」や「Sumo Mandarin(スモウマンダリン)」の名前で栽培されています。

デコポン

【関連・参考サイト】
デコポン(Wikipedia)

3月1日の記念日一覧

3月1日の記念日は全部で16個あります。

3月1日の記念日・行事
月日 記念日 制定・提唱
3月1日 ビキニデー
3月1日 マヨネーズの日 キユーピー(株)
3月1日 デコポンの日 日本園芸農業協同組合連合会
3月1日 エイズ差別ゼロの日 国際デー(国連合同エイズ計画)
3月1日 防災用品点検の日 防災・危機管理アドバイザーの山村武彦氏
3月1日 未唯mieの日 元ピンクレディーの根本美鶴代氏
3月1日 切抜の日 (株)内外切抜通信社
3月1日 未来郵便の日 栄村国際絵手紙タイムカプセル館、絵手紙(株)
3月1日 ファミリーファーストの日 (株)大京
3月1日 再石灰化の日 (株)ヤクルト本社
3月1日 オリジナルTシャツの日 (一社)日本オリジナルTシャツ協会
3月1日 マヨサラダの日 デリア食品(株)
3月1日 「ラブベジ®」の日 味の素(株)
3月1日 タイガーボードの日 吉野石膏(株)
3月1日 Chatworkの日 Chatwork(株)
3月1日 冠元顆粒の日 イスクラ産業(株)
毎月1日の記念日・行事
記念日 由来・制定
あずきの日 日付は、毎月1日にあずきを食べる習慣を広めたいとの願いから。
利尿作用、便通、乳の出にも効果的とされるあずきを食べて健康になってもらいたいと、井村屋グループ(株)が制定。
釜飯の日 釜飯をより身近に、より多くの人に食べて欲しいとの思いから、(株)前田家が制定。
日付は同社の釜飯専門店「釜めしもよう」の創業記念日(1995年7月1日)から毎月1日に。
資格チャレンジの日 日付は、資格取得について毎月初日に考えて欲しいとの思いから毎月1日に。
資格取得に挑戦してより良き人生を目指してもらいたいと、(株)フォーサイトが制定。
Myハミガキの日 日付は「1人1本のMyハミガキ」の「1」から毎月1日に。
口の健康を守り快適な状態を保つためには、自分に合ったハミガキを選ぶことが大切であり、より多くの人に「1人1本のMyハミガキ」を新しい習慣にしてもらうため、ライオン(株)が制定。

【関連・参考サイト】
3月1日(Wikipedia)
日本記念日協会

3月1日の出来事

3月1日の出来事は「セイラム魔女裁判が始まる(1692年)」などです。

セイラム魔女裁判が始まる(1692年)

セイラム魔女裁判

1692年3月1日、北アメリカ東海岸のマサチューセッツ湾植民地のセイラム村にてセイラム魔女裁判が始まりました。

セイラム村の少女たちは親に隠れて降霊会に参加していました。
その後、除霊会に参加した多くの少女が突然暴れだすなど奇妙な行動をとるようになり、医師によって魔術が原因であるかもしれないと診断されました。

牧師らが少女たちを詰問し、誰が少女らの奇妙な行動を引き起こしたのかと問いただすと、南アメリカ先住民の使用人ティテュバとサラ・オズボーン(49歳)、サラ・グッド(39歳)の名前をあげました。

少女らを苦しませた罪でこの3人は逮捕され、1692年3月1日に裁判が始まりました。

ティテュバは、「自白すれば減刑される」というピューリタンの法解釈から悪魔との契約を認め、求められるままに証言を行いました。

サラ・オズボーンとサラ・グッドは容疑を否認しましたが、証人として列席していた悪魔憑きの少女らが暴れだし、2人が霊を使役していると証言したため、共に有罪とされました。

ティテュバが他の関係者の存在を示唆したことから、再度少女たちが詰問されると、村の女性が次々と告発されようになりました。

最終的に200人近い村人が魔女として告発され、19人が刑死、1人が拷問中に圧死、2人の乳児を含む5人が獄死しました。
処刑された人々は、全員が魔女であることを否定していました。

この事件は、植民地時代アメリカにおける集団パニックの最も深刻な事例の一つとされ、無実とされる人々が次々と告発されて裁判にかけられたその経緯は、集団心理の暴走の例として引用されています。

【関連・参考サイト】
セイラム魔女裁判(Wikipedia)

3月1日の出来事一覧

3月1日に発生した日本や世界の代表的な出来事をご紹介します。

3月1日の出来事
年月日 出来事
1692年3月1日 アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラム村でセイラム魔女裁判が始まる。
セイラム魔女裁判(Wikipedia)
1919年3月1日 日本統治下の朝鮮で独立運動が起こる。(三・一運動)
三・一運動(Wikipedia)
1932年3月1日 満州国の建国が宣言される。
満洲国(Wikipedia)
1954年3月1日 太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験。第五福竜丸が被曝。
第五福竜丸(Wikipedia)

3月1日生まれの有名人

3月1日生まれの有名人は「芥川龍之介(小説家)」「加藤茶(コメディアン)」「ジャスティン・ビーバー(ミュージシャン)」などです。

芥川龍之介(小説家)

芥川龍之介

1892年(明治25年)3月1日、芥川龍之介は、東京市京橋区入船町(現在の中央区明石町)に生まれました。
11歳のときに母が亡くなり、翌年に母方の叔父の養子となり芥川姓を名乗ることになりました。

1913年(大正2年)、21歳のときに東京帝国大学英文学科へ進学。
在学中に菊池寛、久米正雄らと同人誌『新思潮』を刊行しました。

1914年(大正3年)に処女小説『老年』を発表。翌1915年(大正4年)には代表作となる『羅生門』を発表。同年、夏目漱石門下に入りました。

1916年(大正5年)に発表した短編小説『鼻』が夏目漱石から絶賛され、出世作となる。

24歳で大学を卒業すると、海軍機関学校の英語の教官になりました。
同時に創作にも励み、『戯作三昧』(1917年)、『地獄変』(1918年)、『奉教人の死』(1918年)などを相次いで発表し、大正文壇の代表作家の地位を確立しました。

1919年(大正8年)、27歳で教職を辞して大阪毎日新聞社に入社。
新聞への寄稿が仕事で出社の義務はなく、創作に専念。
また、同年結婚し、3人の息子をもうけています。

1921年(大正11年)、29歳のときに海外視察員として中国を訪問。
帰国後、次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを患う。
以降、私小説的な作品が現れ、晩年の『歯車』(1927年)、『河童』(1927年)などへつながっていきます。

1927年(昭和2年)4月、芥川の秘書を務めていた女性と帝国ホテルで心中未遂事件を起こす。
同年7月、『続西方の人』を書き上げた後、致死量の睡眠薬を飲んで自殺、芥川龍之介は35年の生涯を閉じました。

死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」(芥川賞)を設立。直木賞とともに日本でもっとも有名な文学賞として現在まで続いています。

芥川龍之介の名言

阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。

【関連・参考サイト】
芥川龍之介(Wikipedia)
芥川龍之介の名言

3月1日生まれの有名人一覧

3月1日生まれの日本や世界の偉人・有名人をご紹介します。

3月1日生まれの有名人
誕生日 有名人 職業 年齢
1810年3月1日 フレデリック・ショパン ポーランド出身の作曲家 39歳没
1883年3月1日 朝倉文夫 彫刻家 81歳没
1892年3月1日 芥川龍之介 小説家 35歳没
1943年3月1日 加藤茶 コメディアン 80歳
1963年3月1日 川﨑麻世 俳優 60歳
1970年3月1日 中山美穂 女優、歌手 53歳
1980年3月1日 井上裕介 お笑い芸人(NON STYLE) 43歳
1986年3月1日 五郎丸歩 ラグビー選手 37歳
1994年3月1日 ジャスティン・ビーバー カナダのミュージシャン 29歳

3月1日の誕生花

3月1日の誕生花は「アンズ」「ヤグルマギク」です。

アンズの花言葉は「臆病な愛」「乙女のはにかみ」などです。

「乙女のはにかみ」は、サクラよりも一足早く、はにかむように花を咲かせることにちなむといわれます。

3月1日の誕生花
誕生花 花言葉
アンズ 「臆病な愛」「乙女のはにかみ」「疑い」「疑惑」
ヤグルマギク 「繊細」「優美」「教育」「信頼」

アンズ(開花時期は3月~4月 / 実の収穫期は6~7月)

アンズ
photo: Tim Wang

ヤグルマギク(開花時期は4月~6月)

ヤグルマギク
photo: Hasan Karagülmez

【関連・参考サイト】
3月1日の誕生花


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