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6月23日は何の日

6月23日は「慰霊の日」です。

他には「オリンピックデー」など全5個の記念日があります。

月日 記念日
6月22日 「ボウリングの日」「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」
6月23日 「慰霊の日」
6月24日 「UFOの日」「ドレミの日」
月日 出来事
6月22日 ガリレオに有罪判決 – 地動説を撤回する異端誓絶文を読み上げさせられる(1633年)
6月23日 スリの大親分・仕立屋銀次を逮捕(1909年)
6月24日 シャムからタイに国名を変更(1939年)
誕生日 偉人
6月22日 坪内逍遥(小説家、評論家)
6月23日 エドワード8世(英国王冠を賭けた恋)
6月24日 ジャック・デンプシー(ボクサー)
誕生日 誕生花 花言葉
6月22日 スイカズラ 「愛の絆」「献身的な愛」
6月23日 タチアオイ 「大望」「野心」「豊かな実り」「気高く威厳に満ちた美」
6月24日 バーベナ 「魔力」「魅力」
今日の名言

どんなトラブルが起きても微動だにしない。
そんなレベルに達するまで人生の修行は続きます。
弱音を吐かず覚悟を決めて。

- 美輪明宏 -
(日本のシンガーソングライター、俳優、演出家 / 1935~)

以下では6月23日の記念日の由来日本や世界の代表的な出来事、6月23日生まれの有名人誕生花などをご紹介します。
今日は何の日(366日カレンダー)

6月23日の記念日・行事

6月23日の記念日・行事は「慰霊の日」などです。

慰霊の日

沖縄の戦没者の霊を慰め、平和を祈る日として、沖縄県が制定。

日付は、1945年(昭和20年)6月23日に沖縄に配備された日本軍の牛島満司令官らが自決し、沖縄における組織的戦闘が終結したことから。

沖縄戦とは

沖縄戦は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いです。

主な戦闘は沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は4月2日に始まり、6月23日に終結しました。

80日にもおよぶ地上戦で約20万人が犠牲になりました。そのうち住民の死者は9万4000人。沖縄県民の4人に1人が命を落としました。

慰霊の日の制定

1961 年(昭和36年)、アメリカ施政下の琉球政府立法院は「住民の祝祭日に関する立法」において、沖縄の戦没者の霊を慰め、平和を祈る日として「慰霊の日」を制定しました。

1972年(昭和47年)の本土復帰後は休日から除外されましたが、沖縄県は1974年(昭和49年)に「慰霊の日を定める条例」を公布し、以後「慰霊の日」は戦没者追悼と平和を祈る日として沖縄県民に浸透しました。

1991年(平成3年)に沖縄県の条例でこの日を休日と定めました。

平和の礎
平和の礎(沖縄県糸満市の平和祈念公園内)

【関連・参考サイト】
慰霊の日(Wikipedia)
沖縄戦(Wikipedia)
平和の礎(Wikipedia)

6月23日の記念日一覧

6月23日の記念日は全部で5個あります。

戦争・平和

戦争や平和に関する記念日です。
「戦争・平和」記念日一覧

6月23日の記念日(戦争・平和)
慰霊の日 沖縄の戦没者の霊を慰め、平和を祈る日として、沖縄県が制定。
日付は、1945年(昭和20年)6月23日に沖縄に配備された日本軍の牛島満司令官らが自決し、沖縄における組織的戦闘が終結したことから。
第二次世界大戦末期に沖縄本島で行われた沖縄戦では、80日にもおよぶ地上戦で約20万人が犠牲になりました。そのうち住民の死者は9万4000人。沖縄県民の4人に1人が命を落としました。

スポーツ・運動

スポーツや運動に関する記念日です。
「スポーツ・運動」記念日一覧

6月23日の記念日(スポーツ・運動)
オリンピックデー 1894年(明治27年)6月23日、フランスのパリで開催された国際会議において、国際オリンピック委員会(IOC)が創設されました。
これを記念して、国際オリンピック委員会が制定。

病気・医療

病気や医療に関する記念日です。
「病気・医療」記念日一覧

6月23日の記念日(病気・医療)
ドラベ症候群の日 乳幼児期に発症する難治てんかんのドラベ症候群。ドラベ症候群の啓発活動、患者と家族のサポート、募金活動などをより多くの人に知ってもらいたいと、ドラベ症候群患者家族会が制定。
日付は、世界各国で設立されている同様の会が6月23日を記念日としていることから。

国際デー

国連やWHO、ユネスコなどの国際機関が制定した記念日(国際デー)です。
「国際デー」一覧

6月23日の記念日(国際デー)
国連パブリック・サービス・デー 公共サービスの役割を周知するため、国連総会で制定。
この日は、地域社会における公共サービスの価値を祝い、開発プロセスにおける公共サービスの貢献を強調し、若者が公共部門でのキャリアを追求するよう奨励する日とされています。
国際寡婦の日 寡婦(かふ)とは、夫と死別または離婚した後、再婚せずに独身でいる女性のことをいいます。
世界の多くの国々で寡婦が人権侵害を受けたり、不平等な状態に置かれている状況を認識し、これを改善・解決していくことを目的に、国連総会で制定。

毎月23日の記念日一覧

毎月23日の記念日
ふみの日 手紙の楽しさ、手紙を受け取るうれしさを通じて文字文化を継承していきたいと、郵政省(現在の日本郵政)が制定。
日付は「ふ(2)み(3)」と読む語呂合わせから毎月23日に。
天ぷらの日 夏の暑さに負けないよう、天ぷらを食べて元気に過ごしてほしいと、一年で最も暑さが激しくなる大暑の頃の7月23日が「天ぷらの日」に制定され、毎月23日も記念日に。
国産小ねぎ消費拡大の日 国産小ねぎの販売促進のため、小ねぎ主産県協議会が制定。
日付は「小ねぎ記念日」が11月23日なので、毎月23日も記念日に。
不眠の日 不眠の改善について適切な情報発信を行いたいと、エスエス製薬(株)が制定。
日付は「ふ(2)み(3)ん」(不眠)と読む語呂合わせから毎月23日に。
乳酸菌の日 体に良い乳酸菌を活用した商品で元気になってもらいたいと、カゴメ(株)が制定。
日付は「に(2)ゅうさん(3)」(乳酸)と読む語呂合わせから毎月23日に。

【関連・参考サイト】
6月23日(Wikipedia)
日本記念日協会

6月23日の出来事

6月23日の出来事は「スリの大親分・仕立屋銀次を逮捕(1909年)」「沖縄戦 – 司令官が自決し組織的戦闘が終結(1945年)」「自衛隊機乗り逃げ事件 – 酔って消えた自衛官(1973年)」などです。

スリの大親分・仕立屋銀次を逮捕(1909年)

仕立屋銀次
仕立屋銀次

1909年(明治42年)6月23日、スリの大親分・仕立屋銀次が逮捕されました。

富田銀次郎は、幕末の1866年に現在の東京都文京区本駒込に生まれました。

12歳のころに日本橋の仕立屋に奉公に出て、その後、和服の仕立て職人として独立しました。

26歳のときに妻のいる身ながら弟子のクニと恋仲になり、妾にしました。クニはスリの親分「清水の熊」とその妾との娘だったことから、銀次もスリ稼業に手を染めるようになりました。

清水の死後、銀次は32歳で跡目を継いでスリの親分となりました。銀次は手を広げ、全盛期には手下のスリを約250人抱え、弁護士も数名雇うほどで、その贅沢な暮らしぶりから明治後期には日本一のスリ一味の大親分として知られました。

当初、警察は銀次の一味と持ちつ持たれつの関係を築いていましたが、その後、一転して用済み扱いされ、1906年(明治39年)頃からスリをターゲットにした大規模な捜査が始まりました。

1909年(明治42年)、元新潟県知事が電車内で伊藤博文から贈られた記念品の金時計を盗まれる事件が発生すると、これをきっかけに銀次らが逮捕されました。

銀次は懲役10年の判決を受けて服役。巨万の富を築いていましたが、出所時はその財産が雲散霧消していたといいます。

出所後は息子の世話になりました。没年は不明ですが、晩年は「スリなんてやるもんじゃないぞ」と話していたといいます。

【関連・参考サイト】
仕立屋銀次(Wikipedia)

6月23日の出来事一覧

6月23日に発生した日本や世界の代表的な出来事をご紹介します。

6月23日の出来事
スリの大親分・仕立屋銀次を逮捕(1909年) 1909年(明治42年)6月23日、スリの大親分・仕立屋銀次が逮捕されました。
富田銀次郎は、幕末の1866年に江戸に生まれ、12歳のころに日本橋の仕立屋に奉公に出て、その後、和服の仕立て職人として独立しました。
26歳のときに妻のいる身ながら弟子のクニと恋仲になりました。クニはスリの親分「清水の熊」とその妾との娘だったことから、銀次もスリ稼業に手を染めるようになりました。
清水の死後、銀次は32歳で跡目を継いでスリの親分となり、明治後期には日本一のスリ一味の大親分として知られました。
警察は銀次の一味と持ちつ持たれつの関係を築いていましたが、1906年頃からスリをターゲットにした大規模な捜査が始まり、1909年に元新潟県知事が電車内で伊藤博文から贈られた記念品の金時計を盗まれる事件が発生すると、これをきっかけに銀次らが逮捕されました。
銀次は懲役10年の判決を受けて服役。巨万の富を築いていましたが、出所時はその財産が雲散霧消していたといいます。
仕立屋銀次(Wikipedia)
沖縄戦 – 司令官が自決し組織的戦闘が終結(1945年) 1945年(昭和20年)6月23日未明、沖縄に配備された日本軍(第32軍)の牛島満司令官らが自決し、沖縄戦における組織的戦闘が終結しました。
沖縄戦は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いです。
主な戦闘は沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は1945年4月2日に始まり、6月23日に終結しました。
80日にもおよぶ地上戦で約20万人が犠牲になり、そのうち住民の死者は約9万4000人。沖縄県民の4人に1人が命を落としました。
沖縄戦(Wikipedia)
自衛隊機乗り逃げ事件 – 酔って消えた自衛官(1973年) 1973年(昭和48年)6月23日夜、栃木県宇都宮市の陸上自衛隊駐屯地から飲酒した自衛官が航空機に乗って飛び去りました。
飛び去ったのは、同駐屯地の航空学校に整備員として所属し、直前まで基地の隊員クラブで飲酒をしていた3等陸曹(20歳)でした。
1か月間にわたる捜索でも機と3曹は発見できず、航空機は燃料が尽きて墜落したものと推定されています。3曹は酔った勢いで航空機を操縦してみたいという衝動にかられ、乗り逃げしたもの考えられています。
自衛隊機乗り逃げ事件(Wikipedia)

6月23日生まれの偉人・有名人

6月23日生まれの偉人・有名人は「織田信長(武将)」「エドワード8世(英国王冠を賭けた恋)」「芦田愛菜(女優)」などです。

エドワード8世(英国王冠を賭けた恋)

エドワード8世

1894年6月23日、エドワードは、後にイギリス王となるジョージ5世の長男として生まれました。

皇太子時代に第一次世界大戦(1914~1918)が勃発。軍に志願できる最低限の年齢に達していたエドワードは20歳で入隊。一兵士として最前線に派遣するよう直訴するも、捕虜になるリスクがあることから拒否されました。

戦後は自国領や世界各国を歴訪し、訪問先では度々絶大な歓迎を受けました。帰国後は上下各層と交わり、失業問題や労働者の住宅問題にも関心を寄せました。

エドワードは多趣味でプレイボーイとしても有名でしたが、1931年(昭和6年)、37歳の頃から離婚歴のあるアメリカ人既婚者ウォリス・シンプソンとの交際が始まりました。
エドワードは結婚を真剣に検討しましたが、イングランド国教会をはじめ周囲の猛反対を受けました。

1936年(昭和11年)1月に父である国王ジョージ5世が崩御。エドワードは独身のまま「エドワード8世」として王位を継承しました。

しかし、エドワード8世はシンプソン夫人との結婚を決意し、1936年12月に在位期間わずか325日で退位しました。この一連の出来事は「王冠を賭けた恋」として知られています。

退位後、エドワードは国外に退去。1937年(昭和12年)にウィンザー公の称号を与えられ、ウォリス・シンプソンと正式に結婚しました。

イギリスではエドワード8世の後継者として弟のアルバートが、ジョージ6世として即位しました。

以後、エドワード(ウィンザー公)はイギリス王室とは不和の状態が続き、1953年(昭和28年)に行われた姪のエリザベス2世(1926~2022)の戴冠式にも出席せず、パリの自宅でテレビ中継を観るだけに留まりました。

1972年(昭和47年)5月、エリザベス2世はフランスのウィンザー公邸を訪問し、末期の食道がんで重体のウィンザー公を見舞いました。その10日後にウィンザー公は死去、77年の生涯を閉じました。

遺体はイギリスに帰り、葬儀が執り行われましたが、妻のウォリスは、エリザベス2世らがなだめるなか、取り乱して号泣していたといいます。遺体は王室墓地に埋葬されました。

【関連・参考サイト】
エドワード8世 (イギリス王)(Wikipedia)
エドワード8世の退位(Wikipedia)

6月23日生まれの偉人・有名人一覧

6月23日生まれの日本や世界の偉人・有名人をご紹介します。

6月23日生まれの有名人
誕生日 有名人 職業 年齢
1534年6月23日 織田信長 戦国時代の武将(誕生日は諸説あり) 47歳没
1891年6月23日 岸田劉生 洋画家 38歳没
1894年6月23日 エドワード8世 イギリス王(王冠を賭けた恋) 77歳没
1935年6月23日 筑紫哲也 ジャーナリスト 73歳没
1936年6月23日 リチャード・バック アメリカの作家、飛行士(『かもめのジョナサン』の著者) 87歳
1967年6月23日 南野陽子 女優 56歳
1972年6月23日 ジネディーヌ・ジダン フランスのプロサッカー選手 51歳
1985年6月23日 シシド・カフカ ドラマー、女優 38歳
2004年6月23日 芦田愛菜 女優 19歳

6月23日の誕生花

6月23日の誕生花は「タチアオイ」「ミヤコワスレ」「ビヨウヤナギ」です。

6月23日の誕生花
誕生花 花言葉
タチアオイ 「大望」「野心」「豊かな実り」「気高く威厳に満ちた美」
ミヤコワスレ 「しばしの慰め」「別れ」
ビヨウヤナギ 「気高さ」「多感」
花言葉の由来

タチアオイの花言葉は「大望」「野心」「豊かな実り」「気高く威厳に満ちた美」です。

「大望」「野心」「豊かな実り」は、多くの実をつけることにちなみます。

「気高く威厳に満ちた美」は、高く伸びた茎に咲く美しい花の姿に由来します。

タチアオイ(開花時期:6月~8月)
花言葉:「大望」「野心」「豊かな実り」「気高く威厳に満ちた美」
西洋の花言葉:「ambition(大望、野心)」「fruitfulness(豊かな実り)」

タチアオイ
photo: John K Thorne

ミヤコワスレ(開花時期:4月~6月)
花言葉:「しばしの慰め」「別れ」

ミヤコワスレ
photo: TANAKA Juuyoh (田中十洋)

ビヨウヤナギ(開花時期:6月~7月)
花言葉:「気高さ」「多感」

ビヨウヤナギ
photo: coniferconifer
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