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6月22日は何の日

6月22日は「ボウリングの日」「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」です。

他には「かにの日」「DHAの日」など全5個の記念日があります。

月日 記念日
6月21日 「ヨガの国際デー」「キャンドルナイトの日(夏至 6月21日頃)」
6月22日 「ボウリングの日」「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」
6月23日 「慰霊の日」
月日 出来事
6月21日 シャクシャインの戦い – アイヌ民族が一斉蜂起(1669年)
6月22日 ガリレオに有罪判決 – 地動説を撤回する異端誓絶文を読み上げさせられる(1633年)
6月23日 スリの大親分・仕立屋銀次を逮捕(1909年)
誕生日 偉人
6月21日 ジャン=ポール・サルトル(哲学者)
6月22日 坪内逍遥(小説家、評論家)
6月23日 エドワード8世(英国王冠を賭けた恋)
誕生日 誕生花 花言葉
6月21日 ツキミソウ 「無言の愛情」「移り気」
6月22日 スイカズラ 「愛の絆」「献身的な愛」
6月23日 タチアオイ 「大望」「野心」「豊かな実り」「気高く威厳に満ちた美」
今日の名言

船に乗っても、もう波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それとも、この船が沈没しやしないかと、船のことばかり考えていたら、船旅の愉快さは何もなかろうじゃないか。
人生もまたしかりだよ。

- 中村天風 -

(日本初のヨーガ行者、天風会の創始者 / 1876~1968)

以下では6月22日の記念日の由来日本や世界の代表的な出来事、6月22日生まれの有名人誕生花などをご紹介します。

6月22日の記念日・行事

6月22日の記念日・行事は「ボウリングの日」「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」などです。

ボウリングの日

1861年6月22日、幕末の長崎の外国人居留地(大浦)に日本初のボウリング場がオープンし、英字新聞に広告が掲載されたことから。
ボウリングの魅力を多くの人に伝えるため、公益社団法人日本ボウリング場協会が1972年(昭和47年)に制定。

ボウリングの歴史

ボウリングの歴史は古く、古代エジプト人の墓から木製のボールとピンが発掘されています。

中世ヨーロッパでは、宗教家の間でピンを悪魔に見立てたゲームとしてボウリングが流行し、宗教革命家のマルティン・ルターがピンを9本にし、並べ方をひし形にするなど、ボウリングの基本ルールを統一したといいます。

やがて9本ピンの「ナインピンズ・ボウリング」というスポーツとして栄え、アメリカへ渡った移民の間でも親しまれるようになりました。

しかし、ナインピンズ・ボウリングが酒場内で賭け事に利用されるようになると、1841年以降に各州でボウリングが禁止されるようになりました。

取締りをのがれるために、1875年に愛好者団体がピンを10本としたテンピン・ボウリングを考案し、これが現在のボウリングの先駆けとなりました。

ボウリング

【関連・参考サイト】
ボウリング(Wikipedia)

らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日

日付は、2001年(平成3年)6月22日に「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が施行されたことにちなみます。
国の隔離政策による被害者の名誉回復や追悼を目的として、厚生労働省が2009年(平成21年)から実施。

この日に合わせて、ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発をはかり、今も残る偏見や差別をなくしていくため、国や各都道府県で式典や記念行事が行われています。

ハンセン病問題とは

ハンセン病は、「らい菌」に感染することで起こる病気です。かつては「らい病」と呼ばれていましたが、現在は1873年(明治6年)に「らい菌」を発見したノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師の名前にちなんで「ハンセン病」と呼ばれています。

「らい菌」の感染力は極めて弱く、たとえ感染しても発病することはほぼありません。また現在は、早期に発見して適切な治療を行えば、後遺症を残すことなく治すことのできる病気となっています。

しかし、1931年(昭和6年)に制定された「らい予防法」では、すべてのハンセン病患者を強制的に療養所に収容する政策がとられました。
国の隔離政策によってハンセン病に対する誤った認識が定着し、病気が完治した今も、偏見や差別に苦しんでいる元患者やその家族がたくさんいます。

らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の碑
らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の碑(出典:厚生労働省)

【関連・参考サイト】
ハンセン病について(国立ハンセン病資料館)
ハンセン病の歴史(Wikipedia)
日本のハンセン病問題(Wikipedia)

6月22日の記念日一覧

6月22日の記念日は全部で5個あります。

6月22日の記念日・行事
ボウリングの日 1861年6月22日に長崎の外国人居留地(大浦)に日本初のボウリング場がオープンし、英字新聞に広告が掲載されたことから。
ボウリングの魅力を多くの人に伝えるため、(公社)日本ボウリング場協会が制定。
らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日 日付は、2001年6月22日に「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が施行されたことにちなみます。
国の隔離政策による被害者の名誉回復や追悼を目的として、厚生労働省が実施。
かにの日 日付は、星占いの「かに座」の最初の日が6月22日であることと、50音で「か」は6番目、「に」は22番目になることから。
かに料理の美味しさを広めることを目的に、(株)かに道楽が制定。
DHAの日 日付は、DHAが6つのシス型の二重結合を含む22個の炭素鎖をもつカルボン酸の総称であることから。
DHA(ドコサヘキサエン酸)は中性脂肪やコレステロールの低下、学習効果などが認められる不飽和脂肪酸で、魚に多く含まれている。
DHAなどの水産機能性油脂の研究開発も行う (株)マルハニチロ食品が制定。
グラスタワーの日 日付は、ジューンブライドである6月と、22日を「夫婦」と読む語呂合わせで、ウェディングシーズンにぴったりであることから。
グラスタワーの認知度を向上させるため、「Tower Crafts」を運営するシャンパンタワー職人の小泉智氏が制定。
毎月22日の記念日
ショートケーキの日 日付は、カレンダーの22日の上は15日(イチゴ)があり、ショートケーキの上にもイチゴがのっていることから毎月22日に。
禁煙の日 タバコの害に関する知識の普及や受動喫煙の防止を含む社会的な禁煙の推進をはかるため、禁煙推進学術ネットワークが制定。
日付は、数字の「2」を白鳥(スワン=吸わん)に見立てて、毎月22日を「スワンスワン=吸わん吸わん」の「禁煙の日」にという語呂合わせから。
ラブラブサンドの日 サンドイッチ「ラブラブサンド」の美味しさをより多くの人に知ってもらいたいと、日糧製パン(株)が制定。
日付は、22日を「ふ(2)うふ(2)」(夫婦)と読む語呂合わせから、夫婦で「ラブラブサンド」をプレゼントして日頃の感謝の気持ちを表すとともに、ラブラブなカップルには「ラブラブサンド」を仲良く分け合い、将来夫婦になって欲しいとの願いを込めて毎月22日に。

【関連・参考サイト】
6月22日(Wikipedia)
日本記念日協会

6月22日の出来事

6月22日の出来事は「ガリレオに有罪判決 – 地動説を撤回する異端誓絶文を読み上げさせられる(1633年)」などです。

ガリレオに有罪判決 – 地動説を撤回する異端誓絶文を読み上げさせられる(1633年)

天文対話
『天文対話』

1632年2月、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイはコペルニクスの地動説(宇宙の中心は太陽であり、地球はほかの惑星とともに太陽の周りを自転しながら公転しているという学説)の解説書『天文対話』を発行しました。
異端である地動説を紹介したガリレオは訴えられました。

1633年6月22日、カトリック教会の裁判で有罪となったガリレオは、地動説を放棄する旨の異端誓絶文を読み上げさせられました。
そして、その後にガリレオがつぶやいたとされるのが有名な「それでも地球は動いている」という言葉です。

この発言については、後の伝記作家による創作という説、周りの人たちがわからないようにギリシア語でつぶやいたという説などがあります。

【関連・参考サイト】
ガリレオ・ガリレイ(Wikipedia)
それでも地球は動く(Wikipedia)

6月22日の出来事一覧

6月22日に発生した日本や世界の代表的な出来事をご紹介します。

6月22日の出来事
年月日 出来事
1633年6月22日 ローマ教皇庁の裁判でガリレオ・ガリレイに有罪判決が下り、地動説を撤回する異端誓絶文を読み上げさせられる。
それでも地球は動く(Wikipedia)
1868年6月22日 戊辰戦争で奥羽の反官軍33藩による奥羽越列藩同盟が成立。
奥羽越列藩同盟(Wikipedia)
1965年6月22日 日本と韓国との間で「日韓基本条約」と「日韓請求権並びに経済協力協定」を締結。
日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(Wikipedia)
1982年6月22日 アメリカFBIがおとり捜査により日立製作所・三菱電機の社員6人を米IBMへの産業スパイ容疑で逮捕。(IBM産業スパイ事件)
IBM産業スパイ事件(Wikipedia)

6月22日生まれの有名人

6月22日生まれの有名人は「坪内逍遥(小説家、評論家)」「メリル・ストリープ(女優)」「阿部寛(俳優)」などです。

坪内逍遥(小説家、評論家)

坪内逍遥

1859年6月22日、坪内逍遥は、美濃国加茂郡太田宿(現在の岐阜県美濃加茂市)に生まれました。父は尾張藩の代官所の役人でした。

明治維新後に名古屋に移住。母の影響を受け、11歳頃から芝居や江戸戯作、俳諧、和歌に親しみました。

17歳のときに上京し東京開成学校に入学。同期生の高田早苗の勧めで、シェイクスピアなど西洋文学に目覚めました。

1883年(明治16年)、23歳のときに東京大学文学部政治科を卒業すると、高田早苗に協力して東京専門学校(早稲田大学の前身)の講師となり、外国歴史、憲法論などを担当。後に教授になりました。

1885年(明治18年)、日本最初の近代的文学論『小説神髄』を発表。小説への「写実主義」(現実を美化・理想化することなく、あるがままに描くべきだとする主張。ロマン主義の反動として生まれる)の導入を提唱。日本の近代文学の誕生に大きく貢献しました。
また、その理論を実践すべく小説『当世書生気質』(1885年)を刊行しています。

30歳のときに『細君』を発表するも、その後は小説執筆を断ち、シェイクスピアと近松門左衛門(江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎の作者)の本格的な研究に着手しました。

1891年(明治24年)、32歳のときに雑誌『早稲田文学』を創刊。森鷗外と文学論争「没理想論争」を戦わせました(逍遥の没理想に対して、鴎外は理想なくして文学なしと応酬)。

1906年(明治39年)、島村抱月(文芸評論家、演出家、劇作家)らと文芸協会を開設し、新劇運動(日本にヨーロッパ流の近代的な演劇を確立しようとする運動)の先駆けとなりました。

晩年はシェイクスピアの作品の翻訳にうちこみ、69歳で『シェークスピア全集』を完成させました。

1935年(昭和10年)2月に坪内逍遥は死去、75年の生涯を閉じました。

【関連・参考サイト】
坪内逍遥(Wikipedia)
高田早苗(Wikipedia)
島村抱月(Wikipedia)

6月22日生まれの有名人一覧

6月22日生まれの日本や世界の偉人・有名人をご紹介します。

6月22日生まれの有名人
誕生日 有名人 職業 年齢
1793年6月22日 徳川家慶 江戸幕府第12代将軍 60歳没
1859年6月22日 坪内逍遥 小説家、評論家、翻訳家 75歳没
1948年6月22日 笹野高史 俳優 75歳
1949年6月22日 メリル・ストリープ アメリカの女優 74歳
1953年6月22日 シンディ・ローパー アメリカのミュージシャン 70歳
1964年6月22日 阿部寛 俳優 59歳
1966年6月22日 斉藤和義 シンガーソングライター 57歳
1967年6月22日 玉袋筋太郎 お笑いタレント 56歳
1983年6月22日 川田裕美 フリーアナウンサー 40歳
1985年6月22日 加藤ローサ ファッションモデル、女優 38歳
1988年6月22日 加藤ミリヤ シンガーソングライター 35歳

6月22日の誕生花

6月22日の誕生花は「スイカズラ」「ガマズミ」です。

スイカズラの花言葉は「愛の絆」「献身的な愛」です。

これらの花言葉は、スイカズラがツルによって他の木にまつわりつくことに由来します。

6月22日の誕生花
誕生花 花言葉
スイカズラ 「愛の絆」「献身的な愛」
ガマズミ 「結合」「私を無視しないで」

スイカズラ(開花時期は5月~7月)

スイカズラ
photo: Forest and Kim Starr

ガマズミ(開花時期は5月~6月)

ガマズミ
photo: 영철 이

【関連・参考サイト】
6月22日の誕生花


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