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7月6日は何の日

7月6日は「サラダ記念日」「ピアノの日」「ゼロ戦の日」です。

他には「公認会計士の日」など全8個の記念日があります。

今日は小暑(二十四節気)

毎年7月7日頃が二十四節気「小暑(しょうしょ)」になります(2023年は7月7日、2024年は7月6日)。「小暑」は梅雨明けが近づき、暑さが本格的になる時期です。

二十四節気
月日 記念日
7月5日 「ビキニスタイルの日」「穴子の日」
7月6日 「サラダ記念日」「ピアノの日」「ゼロ戦の日」
7月7日 「七夕」「ポニーテールの日」
月日 出来事
7月5日 ランチョンミートの缶詰 SPAMが販売される(1937年)
7月6日 アナタハンの女王事件 – 元日本兵ら20人が帰国(1951年)
7月7日 華族令制定 – 公・侯・伯・子・男の五爵制が定められる(1884年)
誕生日 偉人
7月5日 ジャン・コクトー(詩人、小説家)
7月6日 ダライ・ラマ14世(チベット亡命政府指導者)
7月7日 円谷英二(特撮監督)
誕生日 誕生花 花言葉
7月5日 ラベンダー 「沈黙」「私に答えてください」「期待」「不信感」「疑惑」
7月6日 ヒマワリ 「私はあなただけを見つめる」「愛慕」「崇拝」
7月7日 アベリア 「強運」「謙虚」「謙譲」
今日の名言

たいていの人はほんとうになにがほしいのか、心の中でわかっています。
人生の目標を教えてくれるのは直感だけ。
ただ、それに耳を傾けない人が多すぎるのです。

- バーバラ・ブラハム -
(米国の女性ビジネスコンサルタント)

以下では7月6日の記念日の由来日本や世界の代表的な出来事、7月6日生まれの有名人誕生花などをご紹介します。
今日は何の日(366日カレンダー)

7月6日の記念日・行事

7月6日の記念日・行事は「サラダ記念日」「ピアノの日」「ゼロ戦の日」などです。

サラダ記念日

俵万智の歌集『サラダ記念日』の中に、この日がサラダ記念日という歌があることから(下記)。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

280万部のベストセラー『サラダ記念日』

1987年(昭和62年)5月に俵万智の初歌集『サラダ記念日』(河出書房新社)が出版されるや280万部のベストセラーとなり、翌年、俵万智は第32回現代歌人協会賞を受賞しました。

俵万智は1986年(昭和61年)の角川短歌賞の受賞者であり、月刊カドカワの企画で注目を浴びていた俵の初歌集ということで、当初は角川書店から出版される予定でした。

しかし、角川書店社長の角川春樹自身が俳人であり、歌集、句集など短詩型文学の書籍は売れないという判断から出版に反対。

結局河出書房新社から出版されたこの『サラダ記念日』(初版の発行部数は3000部)は280万部のミリオンセラーとなり、角川は「人生最大の失敗だった」と振り返っています。

サラダ記念日

【関連・参考サイト】
俵万智(Wikipedia)
サラダ記念日(Wikipedia)

ピアノの日

江戸後期の1823年7月6日、長崎・出島オランダ商館のドイツ人医師シーボルトが日本に初めてピアノを持ち込んだことに由来します。

山口県萩市の熊谷美術館には、シーボルトが1828年に帰国する際、萩藩の御用商人だった熊谷家に贈った日本最古のピアノが展示されています。四角いテーブルのような形をしたスクエア・ピアノで、1819年にイギリスで製造されたものです。

シーボルトのピアノ

【関連・参考サイト】
ピアノ(Wikipedia)
熊谷美術館・熊谷家住宅(萩市観光協会)

ゼロ戦の日

1939年(昭和14年)7月6日、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が始まったことに由来します。

ゼロ戦とは

日本海軍の零式艦上戦闘機(略称は零戦、ゼロ戦)は、1937年(昭和12年)に三菱重工業の堀越二郎(1903~1982)を設計主任として開発が始められました。

機体の軽量化を徹底してはかることで格闘性能の高め、太平洋戦争初期には無敵と称されるほどの活躍を見せました。

しかし、大戦中期以降はアメリカの対ゼロ戦戦法の確立や新鋭戦闘機の投入によって苦戦するようになり、戦争末期には特攻機としても使われました。

三菱重工業に加え中島飛行機でもゼロ戦のライセンス生産が行われ、生産数は1万機以上にのぼりました。

零式艦上戦闘機

【関連・参考サイト】
零式艦上戦闘機(Wikipedia)
堀越二郎(Wikipedia)

7月6日の記念日一覧

7月6日の記念日は全部で8個あります。

食べ物

料理や食品、食材などに関する記念日です。
「食べ物」記念日一覧

7月6日の記念日(食べ物)
ナンの日 ピザづくりで培った生地づくりの技術と経験を活かして提供する「ナン」の美味しさをPRするため、(株)デルソーレが制定。
日付は「ナ(7)ン(6)」と読む語呂合わせと、ナンの需要が高まる夏の始まりの時期であることから。
サラダ記念日 俵万智の歌集『サラダ記念日』の中に、この日がサラダ記念日という以下の歌があることから。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
1987年(昭和62年)5月に俵万智の初歌集『サラダ記念日』が出版されるや280万部のベストセラーとなり、翌年、俵万智は第32回現代歌人協会賞を受賞しました。

職業

職業に関する記念日です。
「職業」記念日一覧

7月6日の記念日(職業)
公認会計士の日 1948年(昭和23年)7月6日、公認会計士の制度を定める「公認会計士法」が公布されました。
これを記念するとともに、公認会計士法制定の基本理念の再認識と新たな躍進を期して、日本公認会計士協会が制定。

音楽・楽器

音楽や楽器に関する記念日です。
「音楽・楽器」記念日一覧

7月6日の記念日(音楽・楽器)
ピアノの日 江戸後期の1823年7月6日、長崎・出島オランダ商館のドイツ人医師シーボルトが日本に初めてピアノを持ち込んだことに由来します。
山口県萩市の熊谷美術館には、シーボルトが1828年に帰国する際、萩藩の御用商人だった熊谷家に贈った日本最古のピアノが展示されています。四角いテーブルのような形をしたスクエア・ピアノで、1819年にイギリスで製造されたものです。

乗り物

車や電車、飛行機などの乗り物に関する記念日です。
「乗り物」記念日一覧

7月6日の記念日(乗り物)
ゼロ戦の日 1939年(昭和14年)7月6日、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が始まったことに由来します。
日本海軍のゼロ戦は機体の軽量化を徹底してはかることで格闘性能の高め、太平洋戦争初期には無敵と称されるほどの活躍を見せました。
しかし、大戦中期以降はアメリカの対ゼロ戦戦法の確立や新鋭戦闘機の投入によって苦戦するようになり、戦争末期には特攻機としても使われました。

誕生・開始

人や商品、サービスなどが誕生した日、開始日、発売日に関連する記念日です。

7月6日の記念日(誕生・開始)
情報サイト・COMUGICOの日 「支援を必要とする子どもたちとその支援をする人々のための情報サイトCOMUGICO」をより多くの人に知ってもらいたいと、(一社)COMUGICOが制定。
日付は、COMUGICOが正式運用を開始した日(2019年7月6日)から。また、天国へ旅立った運営者夫妻の長男「麦ちゃん」の誕生日から。

語呂合わせ

語呂合わせによる記念日です。

7月6日の記念日(語呂合わせ)
セコムの日 企業や家庭などで「安全、安心」について考え、意識を高めてもらいたいと、セコム(株)が制定。
日付は、社名のセコムにちなみ、7月5日、6日を「セ(7)コ(5)ム(6)」と読む語呂合わせから。

その他

その他の日付や別の記念日、各地の行事・お祭りなどに基づく記念日です。

7月6日の記念日(その他)
思いやり手洗い洗車の日 七夕の前日に降る雨は「洗車雨(せんしゃう)」と呼ばれ、彦星が織姫に会いに行くために牛車を洗っている水が、空から雨として降ってくるといわれています。
彦星が大切な人のために一生懸命牛車を洗うように、他者への思いやりの心について洗車を通じて考えてもらいたいと、「洗車雨を浴びる倶楽部」が制定。
日付は、洗車雨が降る7月6日から。

毎月6日の記念日一覧

毎月6日の記念日
手巻きロールケーキの日 手巻きロールケーキの美味しさをより多くの人に知ってもらいたいと、(株)モンテールが制定。
日付は「手巻きロールケーキ」の断面が数字の「6」に見えることと、「ロ(6)ールケーキ」と読む語呂合わせから毎月6日に。
メロンの日 メロンの美味しさをより多くの人に知ってもらいたいと、第2回全国メロンサミットinほこた開催実行委員会が制定。
日付は、6月が全国的にメロンの出荷量が多い時期であり、「6」という数字がメロンの形に似ていることから毎月6日に。

【関連・参考サイト】
7月6日(Wikipedia)
日本記念日協会

7月6日の出来事

7月6日の出来事は「下山事件 – 失踪した国鉄総裁が轢死体で発見される(1949年)」「アナタハンの女王事件 – 元日本兵ら20人が帰国(1951年)」などです。

アナタハンの女王事件 – 元日本兵ら20人が帰国(1951年)

アナタハンの女王事件

アナタハン島は、太平洋の北マリアナ諸島に属する島です。サイパン島の北方約120キロメートルに位置し、東西の長さ12キロメートル、幅4キロメートルの小島です。

「アナタハンの女王事件」とは、1945年(昭和20年)から1950年(昭和25年)にかけて、アナタハン島で発生し、多くの謎を残した複数の男性の怪死事件です。

第二次世界大戦末期の1944年(昭和19年)、アナタハン島では、南洋興発の男性社員と、その部下の妻の2人が生活していました。

その後、爆撃を受け沈没した日本の徴用船3隻の船員と兵士ら男性31人(多くが10~20代の若者)が合流。
孤島で32人の男性と1人の女性が自給自足に近い共同生活を送ることになりました。

1945年(昭和20年)8月の終戦時、アメリカ軍は拡声器で島の住人に日本の敗戦を知らせましたが、アナタハン島の日本人たちはそれを信じず、日本人たちは「忘れられた」状態となりました。

以後、女性が1950年(昭和25年)に救出されるまで異常な生活が続き、1人の女性をめぐる争いで複数の男性が変死・行方不明となり、最後には男性が20人に減少していました。

1951年(昭和26年)7月6日、救出された残りの男性20人がアメリカ軍機で東京・羽田に帰国しました。

この事件は様々な憶測を呼び、女性はマスコミに「アナタハンの女王」などと呼ばれました。

【関連・参考サイト】
アナタハンの女王事件(Wikipedia)

7月6日の出来事一覧

7月6日に発生した日本や世界の代表的な出来事をご紹介します。

7月6日の出来事
下山事件 – 失踪した国鉄総裁が轢死体で発見される(1949年) 1949年(昭和24年)7月6日、行方不明となっていた国鉄総裁・下山定則氏が東京都足立区の常磐線綾瀬駅付近で轢死体で発見されました。
下山氏は前日朝の出勤途中に立ち寄った日本橋三越で失踪していました。捜査は迷宮入りし、自殺、他殺さえ不明のまま捜査は打ち切られました。
当時、国鉄職員大量整理の最中で労働組合の反対闘争が激化しており、この事件から約1か月の間に国鉄に関連した三鷹事件(無人列車暴走事件)、松川事件(列車往来妨害事件)が相次いで発生。これらは国鉄三大ミステリー事件と呼ばれています。
下山事件(Wikipedia)
アナタハンの女王事件 – 元日本兵ら20人が帰国(1951年) アナタハン島は、サイパン島の北方約120キロメートルに位置し、東西の長さ12キロメートル、幅4キロメートルの小島です。
第二次世界大戦末期の1944年、アナタハン島では、南洋興発の男性社員と、その部下の妻の2人が生活していました。その後、爆撃を受け沈没した日本の徴用船3隻の船員と兵士ら男性31人が合流。孤島で32人の男性と1人の女性が自給自足に近い共同生活を送ることになりました。
1945年8月の終戦時、米軍は拡声器で島の住人に日本の敗戦を知らせましたが、日本人はそれを信じず、日本人たちは「忘れられた」状態となりました。
以後、女性が1950年に救出されるまで異常な生活が続き、1人の女性をめぐる争いで複数の男性が変死・行方不明となり、最後には男性が20人に減少していました。
1951年(昭和26年)7月6日、救出された残りの男性20人が米軍機で東京・羽田に帰国しました。
この事件は様々な憶測を呼び、女性はマスコミに「アナタハンの女王」などと呼ばれました。
アナタハンの女王事件(Wikipedia)

7月6日生まれの偉人・有名人

7月6日生まれの偉人・有名人は「ダライ・ラマ14世(チベット亡命政府指導者)」「シルヴェスター・スタローン(俳優)」「瀬川瑛子(演歌歌手)」などです。

ダライ・ラマ14世(チベット亡命政府指導者)

ダライ・ラマ14世

1935年(昭和10年)7月6日、チベット東北部のアムド地方の農家に9番目の子として生まれました。

3歳のときに1933年(昭和8年)に死去したダライ・ラマ13世の転生者と認定されました。

1940年(昭和15年)、4歳のときにダライ・ラマ14世として即位。チベットの政治、宗教の最高権威者となりました。

1950年(昭和25年)、15歳のときに中華人民共和国の人民解放軍がチベット東部を制圧しました(チャムドの戦い)。

1954年(昭和29年)、19歳のときに全国人民代表大会でチベット民族の代表として常務委員会副委員長に就任しました。

1959年(昭和34年)、チベットの統治権を主張する中国政府とチベット民衆との間に起こった動乱(チベット蜂起)の激化により、ダライ・ラマ14世はインドへ亡命。

ダライ・ラマ14世は、インド北部のダラムサラにチベット亡命政府を樹立し、チベット難民組織の頂点に立ち、国連などを通じてチベット問題の平和的解決を訴える活動を行いました。また、欧米や日本など世界各地をめぐり、講演や法要などを行いました。

1989年(平成元年)、非暴力によるチベット解放闘争と、チベット宗教・文化の普及活動などが評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。

2011年(平成23年)、76歳のときにチベット亡命政府の代表の座を新首相に移譲しました。

【関連・参考サイト】
ダライ・ラマ14世(Wikipedia)
1959年のチベット蜂起(Wikipedia)

7月6日生まれの偉人・有名人一覧

7月6日生まれの日本や世界の偉人・有名人をご紹介します。

7月6日生まれの有名人
誕生日 有名人 職業 年齢
1920年7月6日 ミヤコ蝶々 女優、漫才師 80歳没
1935年7月6日 ダライ・ラマ14世 チベット亡命政府指導者 88歳
1946年7月6日 シルヴェスター・スタローン アメリカの俳優 77歳
1946年7月6日 ジョージ・W・ブッシュ アメリカの第43代大統領 77歳
1948年7月6日 瀬川瑛子 演歌歌手 75歳
1967年7月6日 とよた真帆 女優 56歳

7月6日の誕生花

7月6日の誕生花は「ヒマワリ」「アサガオ」「ツユクサ」「ハマユウ」です。

7月6日の誕生花
誕生花 花言葉
ヒマワリ 「私はあなただけを見つめる」「愛慕」「崇拝」
アサガオ 「はかない恋」「固い絆」「愛情」
ツユクサ 「なつかしい関係」
ハマユウ 「どこか遠くへ」「汚れのない」
花言葉の由来

ヒマワリの花言葉は「私はあなただけを見つめる」「愛慕」などです。

「私はあなただけを見つめる」は、ヒマワリが太陽の方向を追うように動く性質にちなみます。

西洋の花言葉の「偽りの富」は、新大陸に進出したスペイン人が、インカ帝国の太陽の神殿に仕えた巫女のヒマワリを形どった純金の装身具などを奪い取ったことに由来します。

ヒマワリ(開花時期:7月~9月)
花言葉:「私はあなただけを見つめる」「愛慕」「崇拝」
西洋の花言葉:「adoration(愛慕、崇拝)」「false riches(偽りの富)」

ヒマワリ
photo: tsaiproject

アサガオ(開花時期:7月~9月)
花言葉:「はかない恋」「固い絆」「愛情」
西洋の花言葉:「love in vain(はかない恋)」「affection(愛情)」

アサガオ
photo: Yasunobu HIRAOKA

ツユクサ(開花時期:6月~10月)
花言葉:「なつかしい関係」

ツユクサ
photo: nubobo

ハマユウ(開花時期:7月~9月)
花言葉:「どこか遠くへ」「汚れのない」

ハマユウ
photo: Carol VanHook
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