4月5日は「小笠原返還記念日」「ヘアカットの日」「デビューの日」です。
他には「良心の国際デー」「オープンカーの日」「新子焼きの日」「横丁の日」など全9個の記念日があります。
月日 | 記念日 |
---|---|
4月4日 | 「トランスジェンダーの日」「沖縄県誕生の日」「あんぱんの日」 |
4月5日 | 「小笠原返還記念日」「ヘアカットの日」「デビューの日」 |
4月6日 | 「北極の日」「コンビーフの日」 |
月日 | 出来事 |
---|---|
4月4日 | 海賊ドレークが女王エリザベス1世からナイトの称号を受ける(1581年) |
4月5日 | オランダの探検家がイースター島を発見(1722年) |
4月6日 | 第1回近代オリンピック(アテネオリンピック)開幕(1896年) |
誕生日 | 偉人 |
---|---|
4月4日 | 山本五十六(連合艦隊司令長官) |
4月5日 | ブッカー・T・ワシントン(教育者、黒人運動指導者) |
4月6日 | ラファエロ・サンティ(ルネサンスの三大巨匠) |
誕生日 | 誕生花 | 花言葉 |
---|---|---|
4月4日 | カスミソウ | 「清らかな心」「無邪気」「親切」「幸福」 |
4月5日 | フジ | 「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」 |
4月6日 | ナスタチウム | 「愛国心」「勝利」「困難に打ち克つ」 |
僕の後ろを歩かないでくれ。
僕は導かないかもしれない。
僕の前を歩かないでくれ。
僕はついていかないかもしれない。
ただ僕と一緒に歩いて、友達でいてほしい。
- アルベール・カミュ -
(フランスの小説家、ノーベル文学賞受賞 / 1913~1960)
以下では4月5日の記念日の由来、日本や世界の代表的な出来事、4月5日生まれの有名人や誕生花などをご紹介します。
目次
4月5日の記念日・行事
4月5日の記念日・行事は「小笠原返還記念日」「ヘアカットの日」「デビューの日」などです。
小笠原返還記念日
1968年(昭和43年)4月5日、第二次世界大戦後にアメリカの施政下に置かれていた小笠原諸島を日本に返還する協定が締結されたことから。
同年6月26日に協定が発効し、小笠原諸島は日本に復帰しました。
1945年(昭和20年)8月にポツダム宣言を受諾した日本は、連合国軍に占領されました。しかし、沖縄県、奄美諸島、小笠原諸島は日本政府から行政上分離されて、アメリカに占領されました。
1952年(昭和27年)4月にサンフランシスコ平和条約が発効すると、連合国軍の占領が終了し、日本は独立を回復しました。
翌年12月にはアメリカに統治されていた奄美群島が日本に復帰しました。
そして、1968年(昭和43年)4月5日に締結された小笠原返還協定が同年6月26日に発効し、23年ぶりに小笠原諸島は日本へと復帰しました。
沖縄の復帰はその4年後の1972年(昭和47年)5月になりました。

関連する記念日には、5月15日の「沖縄本土復帰記念日」、4月28日の「主権回復の日」があります。
【関連・参考サイト】
南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(Wikipedia)
小笠原諸島(Wikipedia)
ヘアカットの日
1872年(明治5年)旧暦4月5日(新暦5月11日)、東京府が「女子断髪禁止令」を出したことから。
幕末に洋式軍制が導入され、髷(まげ)を結わずに散髪する風潮が広まり、明治維新後は男性の断髪が急速に進みました。
1871年(明治4年)の太政官布告「散髪脱刀令」によって、「散髪」や「士族が帯刀しないこと」が許可され、身分ごとに決められていた髪型や服装の自由が認められました。
この「散髪脱刀令」に男女別が明記されていなかったため、時代の先端をゆこうとする女性のなかに断髪する者が現れました。
しかし、世論は女性が髪を短く切ることに反発。翌年、東京府が「女性はみだりに髪を切ってはいけない」という「女子断髪禁止令」を出しました。
その後、1885年(明治18年)に結成された「婦人束髪会」は、当時の髪油を多用した日本髪は、手入れが大変で金銭的負担が大きく、非衛生的だとして日本髪の廃止を訴えました。そして日本髪はしだいに姿を消してゆきました。
【関連・参考サイト】
散髪脱刀令(Wikipedia)
デビューの日
1958年(昭和33年)4月5日、読売巨人軍の長嶋茂雄が開幕戦に3番サードで先発出場し、プロ野球デビューを果たしたことから。
長嶋茂雄は、国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)のエース金田正一を相手に4打席連続三振を喫し、そのすべてが渾身のフルスイングによる三振であったことが伝説的に語り継がれています。
この日は新人にエールを送る日とされています。
【関連・参考サイト】
長嶋茂雄(Wikipedia)
4月5日の記念日一覧
4月5日の記念日は全部で9個あります。
記念日 | 制定・提唱 |
---|---|
小笠原返還記念日 | |
ヘアカットの日 | |
デビューの日 | |
良心の国際デー | 国際デー(国連総会) |
オープンカーの日 | 日本オープンカー協会 |
新子焼きの日 | 旭川名物”新子焼き”の会 |
よごそうデー | 花王(株) |
横丁の日 | (株)アスラボ |
横引シャッターの日 | (株)横引シャッター |
たまごの日 | たまごの正しい知識の普及と消費拡大を目的に、(一社)日本養鶏協会が制定。 日付は「たま(0)ご(5)」と読む語呂合わせから毎月5日に。 |
---|---|
長城清心丸の日 | 生薬主剤の滋養強壮薬「長城清心丸」をより多くの人に知ってもらいたいと、アスゲン製薬(株)が制定。 日付は、主薬の牛黄を「ゴ(5)オウ」と読む語呂合わせから毎月5日に。 |
みたらしだんごの日 | みたらしだんごの販売促進のため、山崎製パン(株)が制定。 日付は「み(3)たらし(4)だんご(5)」と読む語呂合わせから毎月3日・4日・5日に。 |
【関連・参考サイト】
4月5日(Wikipedia)
日本記念日協会
4月5日の出来事
4月5日の出来事は「オランダの探検家がイースター島を発見(1722年)」などです。
オランダの探検家がイースター島を発見(1722年)
1722年4月5日のイースター(復活祭)の夜、オランダの探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンが南太平洋上に浮かぶ小さな島を発見しました。
この島に上陸したロッヘフェーンは、1,000体を超えるモアイとその前で火を焚き、地に頭を着けて祈りを捧げる島民の姿を目の当たりにしました。
この島は発見した日にちなみイースター島と名づけられました。
モアイで有名なイースター島は、ポリネシアン・トライアングル(ハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島の3点を結んでできる三角形)の東端に当たります。
最も近い有人島まで直線距離で2,000キロメートル以上もあり、南太平洋の「絶海の孤島」と呼ばれています。
1770年に約3,000人の島民がいたとスペイン人によって報告されましたが、その後のヨーロッパ人による奴隷狩り、持ち込まれた天然痘の流行、部族間の抗争などによって人口は激減しました。
1872年(明治5年)に島民はわずか111人となり、文化伝承は断絶。1888年(明治21年)にチリ領となって現在にいたります。
イースター島のラパ・ヌイ国立公園は、1995年(平成7年)に世界遺産に登録されました。
多くの観光客が訪れる島内にはホテルやレストラン、学校、病院、博物館、放送局等の施設が整っています。
【関連・参考サイト】
イースター島(Wikipedia)
ヤーコプ・ロッヘフェーン(Wikipedia)
4月5日の出来事一覧
4月5日に発生した日本や世界の代表的な出来事をご紹介します。
年月日 | 出来事 |
---|---|
1722年4月5日 | オランダ海軍提督ヤーコプ・ロッヘフェーンがイースター島を発見。名前は発見日がイースターであったことに由来。 ヤーコプ・ロッヘフェーン(Wikipedia) |
1879年4月5日 | チリがペルー・ボリビアに宣戦布告、太平洋戦争が勃発する。 太平洋戦争 (1879年-1884年)(Wikipedia) |
1927年4月5日 | 神戸の総合商社・鈴木商店が倒産。 鈴木商店(Wikipedia) |
1951年4月5日 | ソ連によるスパイ事件でスパイ容疑のローゼンバーグ夫妻に死刑判決。(ローゼンバーグ事件) ローゼンバーグ事件(Wikipedia) |
1964年4月5日 | 町田米軍機墜落事故が発生。民家に墜落し、死者4人、重軽傷者32人。 町田米軍機墜落事故(Wikipedia) |
1998年4月5日 | 明石海峡大橋が開通。同時に神戸淡路鳴門自動車道も全通。 明石海峡大橋(Wikipedia) |
4月5日生まれの偉人・有名人
4月5日生まれの偉人・有名人は「ブッカー・T・ワシントン(教育者、黒人運動指導者)」「グレゴリー・ペック(俳優)」「吉田拓郎(シンガーソングライター)」などです。
ブッカー・T・ワシントン(教育者、黒人運動指導者)
1856年4月5日、ブッカー・T・ワシントンは、アメリカ東部のバージニア州フランクリン郡のヘイルズ・フォードに奴隷として生まれました。
南北戦争(1861~1865)後、9歳のときに奴隷から解放され、母とともにウェストバージニア州で塩の荷造り人として働き、学校にも通いました。
ワシントンは、黒人の教師を養成するために設立されたハンプトン師範・農業大学を卒業後に教職に就きました。
25歳のときに黒人のための専門学校であるタスキーギ工業師範学校を創立する任を受け、以後34年間、学長としてその発展に尽くしました。
ワシントンは、黒人に対しては社会的平等の要求よりも勤勉に働いて富を蓄えることが先決であると説き、白人に対しては南部の産業発展に黒人が不可欠であると訴えました。
政治的要求を抑えながら経済的な利益で黒人と白人の和解を目指したワシントンは「調停者」の愛称で有名になりました。
ワシントンの立場は白人の広い支持を得る一方、黒人の平等な権利を求めるW・E・B・デュボイスのような黒人活動家の反感を買いました。
1901年(明治34年)に出版された自叙伝『奴隷より立ち上がりて』はベストセラーとなり、ワシントンはホワイトハウスに招待された最初のアフリカ系アメリカ人となりました。
1915年(大正4年)11月、ブッカー・T・ワシントンは死去、59年の生涯を閉じました。
彼の死後、1946年から1951年までアフリカ系アメリカ人を記念する初のコインとして、彼の肖像が刻まされた50セント銀貨が発行されました。
【関連・参考サイト】
ブッカー・T・ワシントン(Wikipedia)
W・E・B・デュボイス(Wikipedia)
4月5日生まれの偉人・有名人一覧
4月5日生まれの日本や世界の偉人・有名人をご紹介します。
誕生日 | 有名人 | 職業 | 年齢 |
---|---|---|---|
1288年4月5日 | 後伏見天皇 | 第93代天皇 | 48歳没 |
1588年4月5日 | トマス・ホッブズ | イギリスの哲学者 | 91歳没 |
1856年4月5日 | ブッカー・T・ワシントン | アメリカの教育者 | 59歳没 |
1916年4月5日 | グレゴリー・ペック | アメリカの俳優 | 87歳没 |
1943年4月5日 | ファイティング原田 | プロボクサー | 80歳 |
1944年4月5日 | 原田大二郎 | 俳優 | 79歳 |
1946年4月5日 | 吉田拓郎 | シンガーソングライター | 77歳 |
1955年4月5日 | 鳥山明 | 漫画家 | 68歳 |
1960年4月5日 | 谷口浩美 | マラソン選手 | 63歳 |
1966年4月5日 | 野村萬斎 | 能楽師、俳優、演出家 | 57歳 |
1971年4月5日 | 川原亜矢子 | 女優、ファッションモデル | 52歳 |
1971年4月5日 | 西川史子 | 医師、タレント | 52歳 |
1990年4月5日 | 三浦春馬 | 俳優 | 30歳没 |
4月5日の誕生花
4月5日の誕生花は「フジ」「ワスレナグサ」「ハナカイドウ」です。
誕生花 | 花言葉 |
---|---|
フジ | 「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」 |
ワスレナグサ | 「真実の愛」「私を忘れないで」 |
ハナカイドウ | 「温和」「美人の眠り」「艶麗」 |
ワスレナグサの花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで」です。
これらの花言葉は、恋人のためにこの花を摘もうとして誤って川に流され、「私を忘れないで」という言葉を残して死んでしまった若い騎士の伝説にちなみます。
ワスレナグサ(開花時期:3月~5月)
花言葉:「真実の愛」「私を忘れないで」
西洋の花言葉:「true love(真実の愛)」「memories(思い出)」
フジ(開花時期:4月~5月)
ハナカイドウ(開花時期:4月~5月)
【関連・参考サイト】
4月5日の誕生花