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1月13日は何の日

1月13日は「咸臨丸出航記念日」です。

月日 記念日
1月12日 「スキーの日」「桜島の日」
1月13日 「咸臨丸出航記念日」
1月14日 「愛と希望と勇気の日(タロとジロの日)」「尖閣諸島開拓の日」
月日 出来事
1月12日 アチソン・ラインの表明 – 朝鮮戦争の誘因か(1950年)
1月13日 リトアニア血の日曜日事件 – ソ連の崩壊へ(1991年)
1月14日 釈迦が滞在した霊鷲山を発見(1903年)
誕生日 偉人
1月12日 村上春樹(小説家)
1月13日 エルヴィン・フォン・ベルツ(日本医学界の発展に貢献)
1月14日 三島由紀夫(小説家)
誕生日 誕生花 花言葉
1月12日 スイートアリッサム 「優美」「美しさに優る価値」
1月13日 カトレア 「優美な貴婦人」「成熟した大人の魅力」「魔力」「魅惑的」
1月14日 シクラメン 「遠慮」「気後れ」「内気」「はにかみ」
今日の名言

運がいい人も、運が悪い人もいない。
運がいいと思う人と、運が悪いと思う人がいるだけだ。

- 中谷彰宏 -

(日本の作家、俳優 / 1959~)

以下では1月13日の記念日の由来出来事の詳細、1月13日生まれの有名人誕生花などをご紹介します。

1月13日の記念日・行事

1月13日の記念日・行事は「咸臨丸出航記念日」などです。

咸臨丸出航記念日

1860年(万延元年)旧暦1月13日、遣米使節団が乗船した江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が品川を出航したことから。

日米修好通商条約の批准書交換のために派遣された77名から成る使節団は、アメリカ軍艦ポーハタン号に乗艦することになっていましたが、同艦の護衛を名目に、幕府海軍の練習航海も兼ねて、咸臨丸が派米されました。

旧暦1月13日に品川を出航した咸臨丸は、旧暦2月26日にサンフランシスコに入港。日本初の正式な太平洋横断航海となりました。
しかし、出港直後から荒天に見舞われ、日本人の乗員は疲労と船酔いでほとんど行動不能に陥り、艦の運用は、技術アドバイザーとして乗船していたアメリカ人乗員が代行したといいます。

咸臨丸には、勝海舟、福澤諭吉、ジョン万次郎らも乗船していましたが、咸臨丸の指揮官を務めた勝海舟と福沢諭吉は馬が合わず、晩年まで険悪な関係が続きました。

サンフランシスコ湾停泊中の咸臨丸(1860年)
咸臨丸

【関連・参考サイト】
咸臨丸(Wikipedia)

1月13日の記念日一覧

1月13日の記念日・行事
月日 記念日 制定・提唱
1月13日 咸臨丸出航記念日
1月13日 ピース記念日
1月13日 遺言の意味を考える日 NPO法人えがおで相続を
1月13日 伊達のあんぽ柿の日 JAふくしま未来
毎月13日の記念日・行事
月日 記念日 制定・提唱
毎月13日 一汁三菜の日 一汁三菜 ぷらす・みらいご飯®
毎月13日 石井スポーツグループ 登山の日 (株)ICI石井スポーツ
毎月13日 お父さんの日 (株)ヤクルト本社

【関連・参考サイト】
1月13日(Wikipedia)
日本記念日協会

1月13日の出来事

1月13日の出来事は「リトアニア血の日曜日事件 – ソ連の崩壊へ(1991年)」などです。

リトアニア血の日曜日事件 – ソ連の崩壊へ(1991年)

ソ連の戦車に立ち向かう非武装のリトアニア市民

第二次世界大戦初期の1940年、バルト三国と呼ばれる「リトアニア」「ラトビア」「エストニア」は、ナチス・ドイツと東欧分割の密約を結んだソビエト連邦によって併合されました。

戦後、独立運動は抑圧されてきたものの、リトアニア人はリトアニア語や独自の文化を守るよう努めていました。

1985年(昭和60年)、ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長になり、ペレストロイカ(改革)が始まると、リトアニアでも自由化の機運が生じました。

1988年(昭和63年)に設立された民族組織「サユディス」は、当初リトアニアの自治を求めて運動をしていましたが、後に独立要求運動に発展。

1990年(平成2年)3月、サユディスが選挙に圧勝すると、リトアニア共和国最高会議はソ連連邦構成共和国の中でいち早く独立を宣言しました。

ソ連政府は独立宣言の撤回を要求し、リトアニアに対する経済封鎖を行いましたが、リトアニアは独立宣言の撤回を拒否しました。

1991年(平成3年)1月11日、ソ連政府によるリトアニアへの軍事介入が始まりました。
1月13日には重要施設であるテレビ塔を守備する市民にソ連兵が発砲し、戦車が市民の列に突入。これにより13人が死亡しました。

この事件が契機となりリトアニア政府は態度を硬化、リトアニア独立革命へとつながりました。

1991年2月4日、アイスランドが世界に先駆けてリトアニアの独立を承認。

1991年8月にソ連の首都モスクワでのクーデターが失敗に終わると、ソ連共産党の権威は完全に失墜し、ウクライナなどのソ連連邦構成共和国も相次いで独立を宣言。

1991年9月6日、ソ連国家評議会もバルト三国の独立を承認しました。

同年9月17日、リトアニアは、エストニア、ラトビアとともに国際連合に加盟。

リトアニアの独立運動はバルト三国全体の独立運動を主導し、最終的にソビエト連邦の崩壊に大きな役割を果たしました。

【関連・参考サイト】
血の日曜日事件 (リトアニア)(Wikipedia)
リトアニア独立革命(Wikipedia)
ソビエト連邦の崩壊(Wikipedia)

1月13日の出来事一覧

1月13日の出来事
年月日 出来事
1876年1月13日 東京でマイナス9.2度を記録。(東京の最低気温記録)
1898年1月13日 ドレフュス事件:エミール・ゾラがドレフュス大尉の無実を新聞で主張。
ドレフュス事件(Wikipedia)
1945年1月13日 日本の東海地方でマグニチュード6.8の三河地震発生。死者2306人。
三河地震(Wikipedia)
1988年1月13日 蔣経国中華民国総統が死去し、李登輝副総統が総統に就任。台湾出身者が初めて総統になる。
李登輝(Wikipedia)
1991年1月13日 リトアニア血の日曜日事件:ソ連兵が民間人に発砲。
血の日曜日事件 (リトアニア)(Wikipedia)
1993年1月13日 山形マット死事件が発生。
山形マット死事件(Wikipedia)

1月13日生まれの有名人

1月13日生まれの有名人は「エルヴィン・フォン・ベルツ(日本医学界の発展に貢献)」「CHARA(ミュージシャン)」「大島美幸(お笑いタレント)」などです。

エルヴィン・フォン・ベルツ(日本医学界の発展に貢献)

エルヴィン・フォン・ベルツ

1849年1月13日、エルヴィン・フォン・ベルツは、ドイツ南部を統治したヴュルテンベルク王国に生まれました。

1872年(明治5年)に医学部卒業後、日本人留学生を偶然治療することになり、日本との縁が生まれました。

1876年(明治9年)、27歳のときに、お雇い外国人として明治政府に招かれて来日(当初は2年間の予定)。
東京医学校(現在の東京大学医学部)の教師として、生理学・内科・精神科・産婦人科を担当しました。

また、当時日本に多発していた寄生虫病、伝染病、脚気などを研究。
温泉の効能も紹介し、温泉保養地の整備を提案しました。

ベツルは草津温泉を世界に紹介した人物でもあり、草津には「ベルツ通り」や「ベルツ記念館」があります。

1887年頃、日本人荒井花子と結婚、1男1女をもうける。

1902年(明治35年)に東大を退官し、その後4年間宮内省御用掛をつとめる。

1905年(明治38年)、56歳のときに婦人とともにドイツへ帰国。
帰国に際し勲一等旭日大綬章を受章しました。

1913年(大正2年)8月、エルヴィン・フォン・ベルツはシュトゥットガルトで死去、64年の生涯を閉じました。

【関連・参考サイト】
エルヴィン・フォン・ベルツ(Wikipedia)

1月13日生まれの有名人一覧

1月13日生まれの有名人
誕生日 有名人 職業 年齢
1849年1月13日 エルヴィン・フォン・ベルツ ドイツの医師、東大医学部の教師 64歳没
1959年1月13日 太川陽介 歌手、俳優 64歳
1968年1月13日 長山洋子 歌手 55歳
1968年1月13日 CHARA ミュージシャン 55歳
1968年1月13日 三浦りさ子 タレント、ファッションモデル 55歳
1980年1月13日 大島美幸 お笑いタレント(森三中) 43歳
1984年1月13日 平山あや 女優 39歳
1996年1月13日 稲村亜美 タレント 27歳

1月13日の誕生花

1月13日の誕生花は「カトレア」です。

カトレアの花言葉は「優美な貴婦人」「成熟した大人の魅力」などです。

これらの花言葉は「ランの女王」とも呼ばれるカトレアの優雅で格調高い姿にちなみます。

月日 誕生花 花言葉
1月13日 カトレア 「優美な貴婦人」「成熟した大人の魅力」「魔力」「魅惑的」

カトレア(開花時期は周年 – 種により異なる)

カトレア
photo: sunoochi

【関連・参考サイト】
1月13日の誕生花


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