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7月の出来事

7月に発生した日本や世界の歴史的な出来事覚えておきたい出来事をご紹介します。

今日は何の日(366日カレンダー)

7月の歴史的な出来事

7月に発生した日本や世界における歴史的な出来事の一覧です。

日付をクリックすると各日の詳細ページで出来事の詳細がご覧いただけます。

7月の出来事一覧
月日 出来事
7月1日 香港がイギリスから中国へ返還される(1997年)
7月2日 金閣寺放火事件 – 犯人は同寺の若い学僧(1950年)
7月3日 スクーンの石 – 700年ぶりにスコットランドに返還へ(1996年)
7月4日 世界各地で超新星SN 1054が観測される(1054年)
7月5日 ランチョンミートの缶詰 SPAMが販売される(1937年)
7月6日 アナタハンの女王事件 – 元日本兵ら20人が帰国(1951年)
7月7日 華族令制定 – 公・侯・伯・子・男の五爵制が定められる(1884年)
7月8日 黒船来航 – ペリー率いるアメリカの黒船が浦賀沖に来航(1853年)
7月9日 マリア・ルス号事件 – 奴隷船から清国の苦力231人を解放へ(1872年)
7月10日 九日間の女王 – イングランド女王即位を宣言後に大逆罪で斬首刑へ(1553年)
7月11日 ペリーが琉球に来航 – 琉米修好条約の締結(1854年)
7月12日 米アラスカ州に「空席の椅子の記念碑」 – 日系人強制収容と卒業式のエピソード(2014年)
7月13日 南米ウルグアイで第1回FIFAワールドカップが開幕(1930年)
7月14日 ビリー・ザ・キッドが保安官パット・ギャレットに射殺される(1881年)
7月15日 ロゼッタ・ストーンを発見 – 古代エジプト文字の解明へ(1799年)
7月16日 三内丸山遺跡 – 約5000年前の巨大木柱を発見(1994年)
7月17日 八頭身美人 – 伊東絹子がミス・ユニバースで3位に入賞(1953年)
7月18日 紀州大水害 – 死者・行方不明者1124人(1953年)
7月19日 ビルマ建国の父アウンサンが暗殺される(1947年)
7月20日 7月20日事件 – ヒトラー暗殺未遂(1944年)
7月21日 南極ボストーク基地で氷点下89.2℃を記録(1983年)
7月22日 米騒動の発端 – 富山県の魚津港に主婦らが集結(1918年)
7月23日 ゴローニン事件 – 国後島を測量中のロシア軍艦長を捕らえる(1811年)
7月24日 清涼殿落雷事件 – 左遷された菅原道真が雷の神へ(930年)
7月25日 版籍奉還 – 明治政府が中央集権化を図る(1869年)
7月26日 エジプトがスエズ運河の国有化を宣言 – 第二次中東戦争へ(1956年)
7月27日 フランス7月革命 – 栄光の三日間が始まる(1830年)
7月28日 オーストリアがセルビアに宣戦布告 – 第一次世界大戦へ(1914年)
7月29日 桂・タフト協定 – 韓国保護国化へ(1905年)
7月30日 全日空機雫石衝突事故 – 全日空機と自衛隊機が空中衝突(1971年)
7月31日 アルマダの海戦 – スペイン無敵艦隊の敗北(1588年)

7月の覚えておきたい出来事

7月に発生した日本や世界の代表的な出来事をご紹介します。

7月1日の出来事

7月1日の出来事
日本初の民選選挙である第1回衆議院議員総選挙が実施される(1890年) 1890年(明治23年)7月1日、第1回衆議院議員総選挙が行われました。
これは前年2月11日に公布された大日本帝国憲法にもとづいて実施された日本初の民選選挙です。
選挙権は直接国税を15円以上納税した25歳以上の男性に限られ、被選挙権も15円以上納税した30歳以上の男性とされました。有権者は人口の約1.1%ほどで、投票率は93.7%でした。
選挙の結果は、各地で自由民権運動を展開した旧自由党や立憲改進党が勝利しました。
第1回衆議院議員総選挙(Wikipedia)
香港がイギリスから中国へ返還される(1997年) 1997年(平成9年)7月1日、香港の主権がイギリスから中華人民共和国へ返還されました。
アヘン戦争(1840~1842)でイギリスが清国に勝利し、「香港島」がイギリスの永久領土となりました。その後、香港島に接する「九龍半島の南端」と「新界」もイギリスの統治下に置かれました。
1984年に英中共同声明が発表され、イギリスは1997年7月1日に香港の主権を中国に返還し、香港は中国の特別行政区となることが明らかにされました。
中国政府は一国二制度をもとに、社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束。しかし2017年、中国政府は英中共同声明は意味を成さない歴史的な文書であると表明しました。
香港返還(Wikipedia)
集団的自衛権を認める憲法解釈の変更を閣議決定(2014年) 2014年(平成26年)7月1日、第2次安倍内閣において集団的自衛権を使えるようにするため、憲法解釈の変更を閣議決定しました。
日本が攻撃されていなくても国民に明白な危険があるときなどは、自衛隊が他国と一緒に反撃できるようになり、専守防衛の理念のもと、自衛隊の海外活動を制限してきた戦後の安全保障政策が転換点を迎えました。
日本の集団的自衛権(Wikipedia)

7月2日の出来事

7月2日の出来事
女性飛行士アメリア・イアハートが太平洋で消息を絶つ(1937年) 1937年(昭和12年)7月2日、世界一周飛行中のアメリカの女性飛行士アメリア・イアハートが太平洋で消息を絶ちました。
イアハートは1932年5月に女性初の大西洋単独横断飛行に成功するなど絶大な人気がありました。
イアハートが行方不明になり、大規模な捜索が行われましたが、機体の残骸や遺体が発見されなかったことから、航空史上最大の謎の一つとされました。
2024年1月、イアハートの機体の残骸と考えられるものが太平洋の深海で見つかったと報道されました。
アメリア・イアハート(Wikipedia)
金閣寺放火事件 – 犯人は同寺の若い学僧(1950年) 1950年(昭和25年)7月2日未明、京都市の金閣寺が放火により焼失。創建者である室町幕府3代将軍足利義満の木像など多くの貴重な文化遺産も失われました。
放火の犯人は同寺の若い学僧であったことが判明。動機を「金閣の優美さをのろい、反感をおさえきれなかった」などと自供。三島由紀夫はこの事件をモデルにし、小説『金閣寺』を発表しました。
現在の金閣は、事件から5年後の1955年に再建されたものです。
金閣寺放火事件(Wikipedia)

7月3日の出来事

7月3日の出来事
イラン航空655便撃墜事件 – 米軍が旅客機を戦闘機と誤認して撃墜(1988年) 1988年(昭和63年)7月3日、ホルムズ海峡に派遣されていたアメリカ海軍の巡洋艦が、軍民共用のバンダル・アッバース空港から飛び立ったドバイ行きのイラン航空655便を、イラン空軍の戦闘機と誤認してミサイルで撃墜しました。
これにより民間の旅客機655便に搭乗していた290人全員が死亡しました。
当時はイラン・イラク戦争(1980~1988)中であり、イラク側についたアメリカは、ペルシャ湾でイランに対する警戒監視を強化していました。
アメリカは遺族に補償金を支払いましたが、正式な謝罪はありません。
イラン航空655便撃墜事件(Wikipedia)
スクーンの石 – 700年ぶりにスコットランドに返還へ(1996年) 1996年(平成8年)7月3日、イギリス政府は「スクーンの石」をスコットランドに返還すると発表しました。
スクーンの石(運命の石)はスコットランド王家の守護石とされ、スコットランドの歴代君主はこの石の上で戴冠式を行ったとされています。
スコットランド独立戦争中の1296年、スクーンの石はイングランド王エドワード1世によって戦利品として持ち出され、ロンドンのウェストミンスター寺院のエドワード王の椅子の座面の直下に取り付けられました。
この「エドワード王の椅子」は戴冠式に用いられるようになり、イングランド王は、スコットランド王の象徴であるこの石を尻に敷いて即位することになりました。
1996年11月30日、スクーンの石は1296年以来700年ぶりにスコットランドに返還され、スコットランドのエディンバラ城に安置されています。
スクーンの石(Wikipedia)
熱海市伊豆山土石流災害 – 住宅地を襲い28人が死亡(2021年) 2021年(令和3年)7月3日10時30分頃、静岡県熱海市伊豆山地区の逢初川で大規模な土石流が発生し、約2kmにわたって流れ下って海岸まで達しました。
土石流は、逢初川の下流にある住宅地を襲い、28人(災害関連死1人を含む)が犠牲になり、住宅被害は128棟という甚大な被害となりました。
この災害では、上流部で違法な盛土が繰り返され、適切な管理がされていなかったことが問題視され、これを契機に盛土規制が大幅に強化されました。
熱海市伊豆山土石流災害(Wikipedia)

7月4日の出来事

7月4日の出来事
世界各地で超新星SN 1054が観測される(1054年) 1054年7月4日、世界各地で超新星SN 1054が観測されました。
夜空でそれまで星の見えなかった所に突然明るく輝く星は「新星」と呼ばれ、新星のなかで特に明るいものが「超新星」に分類されます。超新星は星の大爆発によって明るく輝きます。
超新星SN 1054の明るさはマイナス6等級で、中国や日本、アラブにおいて、23日間にわたって日中でも見えるほどに輝いたと記録され、また約2年間にわたって夜空で見ることができたとされています。
現在、SN 1054の雲状の残骸は、「かに星雲」として知られています。
SN 1054(Wikipedia)
北米13植民地がアメリカ独立宣言を採択し、イギリスからの独立を宣言(1776年) アメリカ独立戦争中の1776年7月4日、北米13植民地の大陸会議において、アメリカ独立宣言が採択されました。
1775年に始まったアメリカ独立戦争は1783年のパリ条約で終結し、イギリスはアメリカの独立を正式に認めました。
アメリカ独立宣言(Wikipedia)
マニラ条約が調印され、アメリカがフィリピンの独立を承認(1946年) 1946年(昭和21年)7月4日、アメリカ合衆国とフィリピン共和国の代表は、フィリピンの首都マニラでマニラ条約に調印しました。
アメリカはフィリピンに対する主権を放棄し、フィリピンの独立を承認しました。
マニラ条約 (1946年)(Wikipedia)

7月5日の出来事

7月5日の出来事
ランチョンミートの缶詰 SPAMが販売される(1937年) 1937年(昭和12年)7月5日、アメリカのホーメル社がランチョンミートの缶詰「SPAM(スパム)」を発売しました。
ランチョンミートとは、ソーセージの材料を腸ではなく型に詰めたものです。ランチョンとは昼食を意味し、この食品がしばしば昼食のメニューに用いられたことからランチョンミートの名が定着しました。
スパムは、優れた保存性からアメリカ軍の配給品に採用され、アメリカのみならず、米軍の進出したヨーロッパやアジアで広まりました。
特に、ハワイ州とグアムはスパム消費が最も多い地域として知られています。沖縄でも米軍による統治時代にスパムが普及しました。沖縄の家庭料理「ポーク玉子」は、薄切りにしたスパムを焼き、卵焼きを添えたものです。
スパム(Wikipedia)
平成29年7月九州北部豪雨 – 42人が犠牲に(2017年) 2017年(平成29年)7月5日から6日にかけて、線状降水帯による記録的な大雨が福岡県と大分県を中心とした同じ地域で降り続けました。
この豪雨で山間部の中小河川が氾濫するなど、土石流や山崩れ、洪水による甚大な災害が発生。福岡県と大分県で42人が犠牲となり、浸水・損壊家屋は2000棟以上にのぼりました。
平成29年7月九州北部豪雨(Wikipedia)

7月6日の出来事

7月6日の出来事
下山事件 – 失踪した国鉄総裁が轢死体で発見される(1949年) 1949年(昭和24年)7月6日、行方不明となっていた国鉄総裁・下山定則氏が東京都足立区の常磐線綾瀬駅付近で轢死体で発見されました。
下山氏は前日朝の出勤途中に立ち寄った日本橋三越で失踪していました。捜査は迷宮入りし、自殺、他殺さえ不明のまま捜査は打ち切られました。
当時、国鉄職員大量整理の最中で労働組合の反対闘争が激化しており、この事件から約1か月の間に国鉄に関連した三鷹事件(無人列車暴走事件)、松川事件(列車往来妨害事件)が相次いで発生。これらは国鉄三大ミステリー事件と呼ばれています。
下山事件(Wikipedia)
アナタハンの女王事件 – 元日本兵ら20人が帰国(1951年) アナタハン島は、サイパン島の北方約120キロメートルに位置し、東西の長さ12キロメートル、幅4キロメートルの小島です。
第二次世界大戦末期の1944年、アナタハン島では、南洋興発の男性社員と、その部下の妻の2人が生活していました。その後、爆撃を受け沈没した日本の徴用船3隻の船員と兵士ら男性31人が合流。孤島で32人の男性と1人の女性が自給自足に近い共同生活を送ることになりました。
1945年8月の終戦時、米軍は拡声器で島の住人に日本の敗戦を知らせましたが、日本人はそれを信じず、日本人たちは「忘れられた」状態となりました。
以後、女性が1950年に救出されるまで異常な生活が続き、1人の女性をめぐる争いで複数の男性が変死・行方不明となり、最後には男性が20人に減少していました。
1951年(昭和26年)7月6日、救出された残りの男性20人が米軍機で東京・羽田に帰国しました。
この事件は様々な憶測を呼び、女性はマスコミに「アナタハンの女王」などと呼ばれました。
アナタハンの女王事件(Wikipedia)

7月7日の出来事

7月7日の出来事
華族令制定 – 公・侯・伯・子・男の五爵制が定められる(1884年) 明治維新後の1869年(明治2年)、版籍奉還(藩主が土地・人民を朝廷に返還する政治改革)などに伴い、従来の身分制度の公卿・諸侯の称を廃し、これらの家は華族となることが定められました。
1884年(明治17年)7月7日、「華族令」が公布され、華族を「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」の5段階に区分し、旧・公家の華族は家格により、旧・大名の華族には石高によりそれぞれの爵位を授けました。
また国家に勲功ある者を新たに華族に列し、勲功によりそれぞれの爵位を授けました。華族令以前に華族に列した家を旧華族、それ以後に華族に列した家を新華族といいます。
戦後に施行された日本国憲法によって、華族・貴族の制度は廃止されました。
華族令(Wikipedia)
盧溝橋事件 – 日中戦争の発端に(1937年) 1937年(昭和12年)7月7日、中国北京郊外の盧溝橋で、日本軍の夜間演習中に発砲事件があったとして、日本軍と中国軍が衝突しました。
11日には停戦協定が成立しましたが、日本政府は増兵を決定。戦線は次第に拡大し、9月2日に日本は「支那事変」と呼称すると発表し、日中は全面戦争状態に突入しました。
盧溝橋事件(Wikipedia)

7月8日の出来事

7月8日の出来事
黒船来航 – 日本開国へ(1853年) 1853年7月8日、アメリカ海軍の代将マシュー・ペリーが率いる艦船4隻が浦賀沖(神奈川県横須賀市浦賀)に現れました。人々は、煙突からはもうもうと煙を上げていた黒塗りの蒸気船を「黒船」と呼びました。
幕府は、7月14日にペリー一行の久里浜(横須賀市久里浜)上陸を認め、そこでアメリカ大統領の国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至ります。
日米和親条約では「通商は拒否するが、港は開く」として、アメリカに対し下田と箱館の2港を開港。200年あまり続いた鎖国は終わり、日本は開国しました。
黒船来航(Wikipedia)
池田屋事件 – 新選組が尊攘派志士を襲撃(1864年) 1864年7月8日、京都三条の旅館池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊攘派志士を、京都守護職配下の新選組が襲撃しました。
尊攘派志士は9人が死亡し、23人が捕らえられるなど多くの被害を出し、新選組は一気に名を上げました。
長州藩は、この事件によって激高した強硬派に引きずられる形で挙兵・上洛し、同年8月20日に禁門の変を引き起こしました。
池田屋事件(Wikipedia)
安倍晋三銃撃事件 – 街頭演説中に撃たれ死亡(2022年) 2022年(令和4年)7月8日、安倍晋三元首相が奈良市で参院選の街頭演説中に、同市に住む男に手製の銃で撃たれて死亡しました。
聴衆の前で、要人が狙われた事件であり、国内外に大きな衝撃を与えました。
犯人の男は現場で逮捕されました。犯行の動機は、母親が多額の献金をしていた宗教団体(旧統一教会)と安部元首相とが深い関係性を持っていたと考え、恨みを募らせた末に事件を起こしたとされています。
安倍晋三銃撃事件(Wikipedia)

7月9日の出来事

7月9日の出来事
マリア・ルス号事件 – 奴隷船から清国の苦力231人を解放へ(1872年) 1872年(明治5年)7月9日、清のマカオから南米ペルーに向かっていたペルー船籍のマリア・ルス号が、修理のために横浜港に入港。
同船には清国人・苦力231人が乗船していましたが、過酷な待遇から逃れるために数人の清国人が船外に逃れ、イギリス軍艦に保護されました。イギリスはマリア・ルス号を奴隷運搬船と判断し、日本政府に対し清国人救助を要請しました。
日本政府内ではペルーとの間で国際紛争を引き起こすとの意見もありましたが、外務卿・副島種臣は人道主義を貫き、マリア・ルス号の出港を禁止。神奈川県権令・大江卓を裁判長とする特設裁判所は、港内での乗客虐待に対する厳重処罰として、清国人の解放を条件にマリア・ルス号の出航許可を与え、清国人は帰国しました。
ペルー政府は、日本の措置を国際法に違反するとして、謝罪と損害賠償を要求。両国は交渉の結果、ロシア皇帝アレクサンドル2世を裁判官とする国際仲裁裁判に付託することで合意。
1875年(明治8年)、アレクサンドル2世は「日本側の措置は一般国際法にも条約にも違反せず妥当なものである」とする判決を下し、ペルー側の要求を退けました。
日本国内においてもマリア・ルス号事件をきっかけとして、1872年(明治5年)11月に「芸娼妓解放令」が出され、遊女の人身売買が禁止されました。
マリア・ルス号事件(Wikipedia)
リツヤ湾大津波 – アラスカで高さ524mの津波が発生 1958年(昭和33年)7月9日、アメリカ・アラスカ州でマグニチュード7.7の地震が発生しました。
この地震よりアラスカ州南東部の太平洋に面するリツヤ湾の斜面で大規模な山体崩落が発生し、海中になだれ込んだ土砂や氷塊で大津波が発生しました。
波高はその対岸で524メートルに達し、観測史上最大の津波とされています。
この津波によりリツヤ湾を訪れていた漁船1隻が沈没し、2人の船員が死亡。人が足を踏み入れない場所であり、被害者はこの2人だけでした。
リツヤ湾大津波(Wikipedia)

7月10日の出来事

7月10日の出来事
九日間の女王 – イングランド女王即位を宣言後に大逆罪で斬首刑へ(1553年) イングランド王エドワード6世が15歳で亡くなると、1553年7月10日にジェーン・グレイがイングランド女王として即位を宣言しました。
ジェーン・グレイの血統(ヘンリー7世の曽孫)に着目したノーサンバランド公ジョン・ダドリーは、自分の息子ギルフォード・ダドリーとジェーンを結婚させ、病床の国王から自分の死後ジェーンを次期女王に指名する遺言を得ました。
ジェーンの女王即位宣言に反発したメアリー王女(ヘンリー8世の長女)は同志の貴族を集めて挙兵。多くの人々がメアリー支持に動き、7月19日にメアリーは女王即位を宣言しました。
戦況を絶望視したジョン・ダドリーはメアリー1世の即位を認め、メアリー軍に投降。ジェーンと夫ギルフォードも逮捕されました。ジョン・ダドリーは大逆罪により1553年8月に処刑されました。ジェーンは夫ギルフォードとともに1554年2月に斬首され、16年の生涯を閉じました。
ジェーン・グレイは在位わずか9日間でメアリー1世により廃位されたため、イギリスでは女王とは呼ばずにレディー・ジェーン・グレイと呼ばれてきました。しかし、イギリス王室はジェーンをテューダー朝第4代として公式に歴代君主の一人に数えています。
ジェーン・グレイ(Wikipedia)
出水市針原地区土石流災害が発生し、21人が犠牲に(1997年) 1997年(平成9年)7月10日0時44分頃、7日から降り続いた大雨(総雨量400mm超)の影響により鹿児島県出水市針原地区で大規模な土石流が発生しました。
土石流は、建設中の砂防ダムを超えて下流の集落に達し、21人が犠牲になりました。
出水市針原地区土石流災害(Wikipedia)

7月11日の出来事

7月11日の出来事
ペリーが琉球に来航 – 琉米修好条約の締結(1854年) 1854年7月11日、琉球王国とアメリカ合衆国が「琉米修好条約」を締結しました。
前年の1853年5月、マシュー・ペリーが率いるアメリカ海軍・東インド艦隊が琉球王国の那覇港に来航。当時の琉球は、薩摩藩の統治下に置かれ、さらに清(中国)との朝貢関係も維持するという両属の体制にありました。
アメリカは同地を拠点の一つとして確保するため、ペリーは琉球王国に修好条約の締結を求め、その後浦賀に向かいました(ペリーの艦隊は1853年7月8日に浦賀沖に到着。黒船来航)。
江戸幕府が翌1854年3月に「日米和親条約」を締結すると、琉球王国はペリーの要求を受け入れ、同年7月11日に「琉米修好条約」を締結しました。
琉米修好条約の内容は、水、食料、燃料(薪)の補給、遭難船の救助、アメリカ人墓地の保護などでした。
琉米修好条約(Wikipedia)
日本坂トンネル火災事故 – 3日間燃え続ける(1979年) 1979年(昭和54年)7月11日18時40分頃、東名高速下りの日本坂トンネルで、乗用車2台と大型トラック4台が絡む追突事故が発生しました。
漏れたガソリンに引火し、炎は3日間燃え続け、173台の車両がトンネル内で焼失しました。
衝突事故の被害者のうち4人が即死、3人が車両から脱出できずに焼死しました。
東名高速の全面復旧には2か月を要し、国内の物流に大きな影響を及ぼしました。
日本坂トンネル火災事故(Wikipedia)
悪魔の詩訳者殺人事件が発生(1991年) 1991年(平成3年)7月11日、筑波大学助教授のイスラム学者・五十嵐一氏が、大学内の7階エレベーターホールで刺殺されているのが発見されました。
事件の前年、五十嵐氏は小説『悪魔の詩』を翻訳。イランの最高指導者ホメイニ師が同書を「イスラム教を冒とくしている」とし、著書ら発行に関わった者などに対して処刑宣言を出し、世界各地で関係者らに対する襲撃事件が起きていました。
事件は真相が明らかにならないまま2006年7月に殺人罪の公訴時効が成立し、未解決事件となりました。
悪魔の詩訳者殺人事件(Wikipedia)

7月12日の出来事

7月12日の出来事
北海道南西沖地震が発生し、20mの大津波(1993年) 1993年(平成5年)7月12日22時17分頃、北海道南西沖を震源とするマグニチュード7.8の北海道南西沖地震が発生しました。
北海道江差町などで震度5を観測。震源に近い奥尻島では、地震直後に高さ約20mの大津波に襲われ、島の南端の青苗地区は津波と火災で壊滅状態になりました。
この地震と津波による犠牲者は230人におよびました。
北海道南西沖地震(Wikipedia)
堺市学童集団下痢症(1996年) 1996年(平成8年)7月12日、大阪府堺市内で、多数の児童に学校給食に起因する集団下痢症が発生しました。
小学校の給食を食べた児童のほか、家族、教員ら9523人がO157に感染し、児童3人が死亡しました。また、後遺症により2015年に1人が亡くなりました。
堺市学童集団下痢症(Wikipedia)
米アラスカ州に「空席の椅子の記念碑」 – 日系人強制収容と卒業式のエピソード(2014年) 2014年(平成26年)7月12日、アメリカ最北端のアラスカ州ジュノーにおいて「空席の椅子の記念碑」の除幕式が執り行われました。
1941年(昭和16年)12月、真珠湾攻撃により日米が開戦。その後、日系人の強制収容が開始されました。
アラスカ州ジュノーの日系二世ジョン・タナカは、地元の高校を総代として卒業する予定でした。しかし、アラスカの日系人が強制収容所への立ち退きを命じられたため、1942年4月にジョン一人のために特別卒業式が執り行われました。
翌5月に催された正規の卒業式において、ジョンのクラスメートたちは、総代の名誉を以て卒業するはずだった級友、ひいては地元日系人の不在を顕示するべく、空席の木製折り畳み椅子を会場に置きました。
戦後、タナカ家を含めたジュノーに在住していた日系人のほぼ全てが自宅へ戻りました。日系人たちは地元住民から温かい歓迎を受け、隣人らが永らく気に掛けてくれていたことを知りました。そして、ジュノーの日系人は、早い段階で戦前と変わらない生活を再開させることができました。
2014年7月12日、ジュノーのキャピタル・スクール・パークにおいて卒業式で使用された折り畳み椅子を模した「空席の椅子の記念碑」の除幕式が執り行われました。
空席の椅子の記念碑(Wikipedia)

7月13日の出来事

7月13日の出来事
南米ウルグアイで第1回FIFAワールドカップが開幕(1930年) 1930年(昭和5年)7月13日、南米ウルグアイで第1回FIFAワールドカップが開幕しました。
第1回大会は地区予選を行わず、招待されたチームによって開催されました。ヨーロッパからフランス、ユーゴスラビア、ベルギー、ルーマニアの4か国、南米からはウルグアイ、ブラジル、アルゼンチン、チリ、パラグアイ、ペルー、ボリビアの7か国、北米からはメキシコとアメリカの2か国が参加しました。
1930年7月30日にウルグアイの首都モンテビデオで決勝戦が行われ、開催国のウルグアイが4対2でアルゼンチンを下し、優勝杯を受け取りました。
3位決定戦は行われず、FIFAは総合的に判断しアメリカを3位、ユーゴスラビアを4位と認定しました。
1930 FIFAワールドカップ(Wikipedia)
平成16年7月新潟・福島豪雨 – 高齢者を中心に犠牲者16人(2004年) 2004年(平成16年)7月13日を中心に新潟県と福島県で豪雨災害が発生しました。
12日夜から新潟県中越地方と福島県会津地方で日降水量400ミリに達する記録的な雨量を観測。
新潟県では信濃川の支流の刈谷田川や五十嵐川などで相次いで堤防が決壊。高齢者の溺死や孤立が相次ぎました。
この豪雨で高齢者を中心に16人が犠牲となり、損壊・浸水家屋は14000棟以上にのぼりました。
平成16年7月新潟・福島豪雨(Wikipedia)

7月14日の出来事

7月14日の出来事
バスティーユ襲撃 – フランス革命へ(1789年) 1789年7月14日、フランス王国のパリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃して、フランス革命の発端となりました。
バスティーユ牢獄には王政に反対する政治犯が収容され、この牢獄は専制政治の象徴とみなされていました。
ルイ16世が憲法制定国民議会に干渉しようとしたことで、反発したパリの民衆は牢獄を襲撃しました。これが全国的な暴動へと拡大し、フランス革命が始まりました。
バスティーユ襲撃(Wikipedia)
ビリー・ザ・キッドが保安官パット・ギャレットに射殺される(1881年) 1881年(明治14年)7月14日、アメリカ西部開拓時代のアウトロー、ビリー・ザ・キッドが射殺され、21年の生涯を閉じました。
ビリー・ザ・キッドは1859年に生まれ、ニューメキシコで育ったといわれます。15歳のときに家を出て牛泥棒や強盗、殺人を重ねました。
その後、ニューメキシコのリンカーン郡で売店の用心棒となりましたが、商売敵との縄張り争いが拡大し、リンカーン郡戦争と呼ばれる騒動に発展。ビリーは4人を射殺し、1880年(明治13年)に友人でもあった保安官パット・ギャレットによって逮捕されました。
翌年ビリーは刑務所を脱走しましたが、1881年7月14日にパット・ギャレットによって射殺されました。
当時ビリーは丸腰で、寝室から食べ物を取りに部屋を出たところを闇討ちされたといわれています。
ビリー・ザ・キッドは西部開拓時代のアウトローとして伝説的に描かれたことから、保安官のワイアット・アープ、アウトローのジェシー・ジェイムズとならんで大変人気がある人物です。
ビリー・ザ・キッド(Wikipedia)

7月15日の出来事

7月15日の出来事
ロゼッタ・ストーンを発見 – 古代エジプト文字の解明へ(1799年) 1799年7月15日、ナポレオンのエジプト遠征の際、フランス軍兵士がナイル川河口のロゼッタで石碑の一部(ロゼッタ・ストーン)を発見しました。
石碑には、古代エジプト語の「聖刻文字(ヒエログリフ)」「民衆文字(デモティック)」「ギリシア文字」の3種類の文字が刻まれていました。
フランスの研究者ジャン=フランソワ・シャンポリオンはこれらを比較して1822年に「聖刻文字(ヒエログリフ)」の解読に成功。これによってエジプト学は急速に進歩し、碑文や文書類が次々と解読されました。
ロゼッタ・ストーン(Wikipedia)
1888年の磐梯山噴火 – 山体崩壊で犠牲者477人(1888年) 1888年(明治21年)7時45分頃、福島県中部の磐梯山が大噴火を起こしました。
噴火に伴い、磐梯山を構成していた小磐梯が全面的に崩壊し消滅。この山体崩壊は大規模な岩屑なだれを引き起こし、北側の集落が埋没。477人が犠牲となる大災害となりました。
現在、裏磐梯と呼ばれ景勝地となっている桧原湖や五色沼などは、この時の噴火で川が堰き止められ形成されたものです。
1888年の磐梯山噴火(Wikipedia)
三鷹事件 – 無人列車の暴走で6人が犠牲に(1949年) 1949年(昭和24年)7月15日21時23分頃、現在の三鷹市と武蔵野市にまたがる旧国鉄三鷹駅構内で無人の電車が暴走する事件が発生しました。
暴走電車は、三鷹駅の車止めに激突し、そのまま車止めを突き破って脱線転覆。これにより線路脇の商店街などで6人が車両の下敷きとなり死亡しました。
国鉄の人員整理に反対する国鉄労働組合などの計画的犯行として共産党員など組合員が起訴されましたが、最高裁は非共産党員による単独犯行と判決を下しました。
この事件は、同時期に発生した下山事件(国鉄総裁が失踪後、轢死体で発見される)、松川事件(列車往来妨害事件)と並ぶ国鉄三大ミステリー事件の一つとされています。
三鷹事件(Wikipedia)
天竜川バス転落事故 – 28人前後が行方不明に(1951年) 1951年(昭和26年)7月15日、現在の静岡県浜松市天竜区で増水した天竜川に国鉄バスが転落しました。
バスの運転手と運転助手、乗客5人は助かりましたが、28人前後が濁流に呑まれたまま行方不明となりました。
当時、長雨によって飯田線浦川駅 – 佐久間駅間が不通となり、国鉄はバスによる代行輸送を行っていました。
天竜川バス転落事故(Wikipedia)

7月16日の出来事

7月16日の出来事
トリニティ実験 – 人類初の核実験に成功(1945年) 第二次大戦末期の1945年(昭和20年)7月16日午前5時30分頃、アメリカ・ニューメキシコ州の砂漠にあるトリニティ実験場において、アメリカ政府が人類初の核実験を秘密裏に成功させました。
これはプルトニウム型原子爆弾の実験で、同型の爆弾「ファットマン」は後に日本の長崎県長崎市に投下されました。
トリニティ実験(Wikipedia)
三内丸山遺跡 – 約5000年前の巨大木柱を発見(1994年) 1994年(平成6年)7月16日、青森県青森市の三内丸山遺跡の発掘調査で、直径約1メートルのクリの木柱が発見されたことを朝日新聞が報道。
今から約5000年もさかのぼる縄文時代に、このような巨大な木柱が存在していたことは、大きな驚きをもって報じられました。
三内丸山遺跡は、紀元前約3900年~2200年の縄文時代の集落跡。そこでは1500年以上もの長期間にわたり、採集・狩猟・漁労をおもな生業として定住生活が営まれていました。
三内丸山遺跡を象徴する「大型掘立柱建物跡」は、地面に穴を掘り、柱を建てて造った建物跡。6本柱で長方形の大型高床建物と考えられています。柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートルで、中に直径約1メートルのクリの木柱が入っていました。木柱には腐食を防ぐため周囲を焦がすという技術が施されていました。
2021年(令和3年)、三内丸山遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
三内丸山遺跡(Wikipedia)
新潟県中越沖地震 – 初の原発被災(2007年) 2007年(平成19年)7月16日10時13分頃、新潟県中越地方沖を震源とするマグニチュード6.8の新潟県中越沖地震が発生しました。
新潟県柏崎市、長野県飯綱町などで震度6強を観測。柏崎市では高さ35cmの津波を観測しています。柏崎市を中心に被害が発生し、15人が犠牲になりました。
原子力発電所が地震によって被災する初めての例となり、東京電力柏崎刈羽原発では、火災や微量の放射性物質の漏洩の被害がありました。
新潟県中越沖地震(Wikipedia)

7月17日の出来事

7月17日の出来事
八頭身美人 – 伊東絹子がミス・ユニバースで3位に入賞(1953年) 1953年(昭和28年)7月17日、アメリカのカリフォルニア州ロングビーチで行われた第2回ミス・ユニバース世界大会で日本代表の伊東絹子が3位に入賞しました。
この年、日本人初のミス・ユニバース入賞者となった伊東絹子の体形にちなんだ「八頭身美人」が流行語となりました。
伊東絹子(Wikipedia)
FIFA女子ワールドカップでなでしこジャパンが初優勝(2011年) 2011年(平成23年)7月17日、FIFA女子ワールドカップドイツ大会で日本代表(なでしこジャパン)が、アメリカを下して初優勝を果たしました。
なでしこジャパンは、男女を通じて初めてFIFAワールドカップで優勝したアジアのチームとなりました。
この大会前の3月11日に東日本大震災が発生。日本中に暗い雰囲気が漂っていたなかでの快挙でした。主将としてチームを引っ張った澤穂希選手は大会MVPと得点王に輝きました。
2011 FIFA女子ワールドカップ(Wikipedia)

7月18日の出来事

7月18日の出来事
紀州大水害 – 犠牲者1124人の大災害へ(1953年) 1953年(昭和28年)7月17日から翌18日朝にかけて、活発な梅雨前線による豪雨(南紀豪雨)が和歌山県北部を襲い、和歌山県の山間部では24時間で500mm以上の雨量を記録しました。
この豪雨により、7月18日には和歌山県内の有田川と日高川の堤防が決壊。和歌山県では死者・行方不明者が1015人(全国で1124人)にのぼる甚大な被害が発生しました。
紀州大水害(Wikipedia)
京都アニメーション放火殺人事件 – 36人が死亡(2019年) 2019年(令和元年)7月18日、京都市伏見区の京都アニメーションで放火殺人事件が発生しました。
アニメ制作会社「京都アニメーション」第1スタジオに男が侵入し、ガソリンを撒いて放火。スタジオは全焼し、社員36人が死亡、33人が重軽傷を負いました。
犯人の男も犯行時に瀕死の重傷を負い、退院後に逮捕、起訴されました。
犯行の動機は、男の小説を京アニ側が盗用したとの思い込みによる恨みであるとされています。
2024年1月、京都地方裁判所は男に死刑判決を言い渡しました。弁護士と男は判決を不服として控訴。2審の裁判は大阪高等裁判所で開かれることになります。
京都アニメーション放火殺人事件(Wikipedia)

7月19日の出来事

7月19日の出来事
渋谷事件 – 警察が暴力団に助太刀を依頼(1946年) 1946年(昭和21年)7月19日、東京・渋谷で渋谷警察署と暴力団の連合隊と、在日台湾人グループとの銃撃事件が発生しました。
戦後、渋谷で勢力を伸ばしていた台湾人グループは、闇市の縄張り争いで新橋の松田組と抗争を繰り返しながら、禁制品販売をめぐり警察との対立も激化させていました。
この日、拳銃で武装した台湾人グループが渋谷警察署を襲うとの情報があり、渋谷警察は暴力団の落合一家に助太刀を依頼し、落合一家はこれを了承。
7月19日21時頃、渋谷警察署長を狙った台湾人側からの発砲が事件の口火となり、双方に死傷者がでる抗争事件へと発展。警察側が1人、在日台湾人が7人死亡しました。
この渋谷事件をきっかけに、警察は都内の闇市の取り締まりを強化し、台湾人グループの活動も沈静化へと向かいました。
渋谷事件(Wikipedia)
ビルマ建国の父アウンサンが暗殺される(1947年) 1947年(昭和22年)7月19日、ビルマ(ミャンマー)の独立運動家アウンサンは翌年1月のビルマ独立を見ることなく、政敵によって暗殺されました。
1915年、アウンサンはイギリス植民地下のビルマに生まれました。大学卒業後に独立運動組織に入り、政治活動を展開。
太平洋戦争の前夜、日本のビルマ工作機関は、アウンサンの率いる勢力に目をつけ、彼らに独立援助を約束して軍事訓練を行いました。
太平洋戦争が始まると、アウンサンは日本の軍政下でビルマ防衛軍司令官や国防相をつとめましたが、その後抗日に転じ、1945年3月にビルマ国軍の反日決起を指導しました。
日本が敗戦すると、ビルマは再びイギリスの植民地となり、アウンサンはイギリス政府との交渉をはじめとする独立問題に専念しました。
1947年1月、アウンサンはロンドンで、イギリスからの1年以内の独立を約束する協定に調印。
しかし、独立を目前にした1947年7月19日、アウンサンは政敵によって暗殺され、32年の生涯を閉じました。
アウンサンは「ビルマ建国の父」として死後も敬愛されています。ミャンマーの民主化運動の指導者アウンサンスーチーは、アウンサンの長女です。
アウンサン(Wikipedia)

7月20日の出来事

7月20日の出来事
7月20日事件 – ヒトラー暗殺未遂(1944年) 1944年(昭和19年)6月、イギリスやアメリカなどの連合国軍は西部戦線でノルマンディー上陸作戦を成功させ、東部戦線においてもソ連軍に押されてドイツ軍の後退が続いていました。
ヒトラーの戦争指導に対する疑念が高まり、ドイツ国防軍の反ナチス将校グループによってヒトラーを暗殺するクーデター計画が推進されました。
1944年7月20日、暗殺実行者となったシュタウフェンベルク大佐は、時限爆弾入りのカバンを会議中のヒトラーの足下に置き、爆発させました。しかし、ヒトラーは奇跡的に軽傷で済み、クーデターは失敗しました。
シュタウフェンベルクなど事件に関与したとされる約200人が逮捕され、処刑されました。
7月20日事件(Wikipedia)
アポロ11号のイーグル号が人類初の月面着陸に成功(1969年) 1969年(昭和44年)7月20日20時17分(協定世界時UTC)、アメリカの宇宙飛「アポロ11号」のニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン操縦士は、月面着陸船「イーグル号」を月面に着陸させました。
そして翌21日、アームストロングは人類で初めて月面に降り立ちました。このとき彼は「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という有名な言葉を残しました。
アポロ11号(Wikipedia)

7月21日の出来事

7月21日の出来事
南極ボストーク基地で氷点下89.2℃を記録(1983年) 1983年(昭和58年)7月21日、南極のボストーク基地で世界最低気温であるマイナス89.2℃を観測しました。
その後、2010年(平成22年)に南極のドームA付近でマイナス93.2℃が人工衛星によって観測されましたが、これは地表面の温度で、地上での気温の観測方法とは異なるため、実際にマイナス89.2℃を下回っていたのかは不明です。
ボストーク基地(Wikipedia)
明石花火大会歩道橋事故 – 子どもと高齢者11人が死亡(2001年) 2001年(平成13年)7月21日20時30分頃、兵庫県明石市の花火大会の会場に近いJR朝霧駅南側の歩道橋で、異常な混雑から「群衆雪崩」が発生しました。
これにより子どもと高齢者11人が死亡し、183人が負傷するという大惨事となりました。
事故は、歩道橋上で駅から会場に向かう人の流れと会場から駅に向かう人の流れがぶつかり合ったことによって発生。主催者の明石市や現場で警備にあたった警察の責任が問われました。
この事故を教訓として警備業法などが改正され、警備業務検定に従来の常駐警備、交通誘導警備等に加え、雑踏警備が新設されました。
明石花火大会歩道橋事故(Wikipedia)

7月22日の出来事

7月22日の出来事
横田切れ – 泥海と化した越後平野(1896年) 1896年(明治29年)7月22日、数日間続いていた大雨により新潟県を流れる信濃川が各地で決壊しました。
横田村(現在の燕市横田)では長さ約300mにわたって堤防が決壊。越後平野一帯が広く浸水し、浸水家屋は約6万棟におよびました。
浸水は長期間にわたり、11月になっても水が引かない場所もあったことから、衛生状態の悪化にともなう赤痢やチフスなどの伝染病が蔓延し、命を落とす人も出ました。
横田切れ(Wikipedia)
米騒動の発端 – 富山県の魚津港に主婦らが集結(1918年) 第一次世界大戦(1914~1918)が勃発すると、戦地圏外にあった日本の商品輸出が急増し、日本は大戦景気(大正バブル)に沸きました。
一方で好景気は物価の上昇を招き、戦争の長期化やシベリア出兵を見込んだ米の買占めもあり、1918年(大正7年)の夏に米価が暴騰。一升11銭だった米の値段は、約3倍にまで跳ね上がりました。
1918年7月22日の夜から翌日にかけて、富山県の魚津港で米を船に載せて運び出そうとしていたところ、主婦らが集結し、米の船積みを中止し、住民に販売するよう要求しました。
この時は警官によって解散させられましたが、富山県内で米の販売を要望する運動はさらに激しさを増し、住民らは米の移出を実力行使で阻止し、相場よりも安く販売させました。
この件が全国の新聞に「越中女一揆」として報道されると、同じような暴動が全国各地に広まりました。これが1918年米騒動です。
政府は、米の安売りを行い、警察や軍隊を出動させて事態の収拾をはかりましたが、米騒動はおよそ2か月間続きました。
1918年米騒動(Wikipedia)

7月23日の出来事

7月23日の出来事
ゴローニン事件 – 国後島を測量中のロシア軍艦長を捕らえる(1811年) 江戸後期の1811年7月23日、千島列島を測量中のロシア軍艦ディアナ号の艦長ゴローニンらが、国後島で松前奉行配下の役人に捕らえられました。
ゴローニンは補給のため上陸した際に捕らえられ、松前(現在の北海道松前町)で2年3か月の幽囚生活を送りました。
1813年、ディアナ号副艦長リコルドと彼に拿捕されカムチャツカへ連行された廻船商人・高田屋嘉兵衛の尽力により、ゴローニンは解放されました。
ロシアに帰国後の1816年、ゴローニンは日本での抑留生活の体験と、その間に見聞した日本の政治、文化、風俗などを詳しく記述した『日本幽囚記』を出版。ロシア人が書いた初の日本人論は各国語に訳され、ヨーロッパで広く読まれました。
司馬遼太郎の長編小説『菜の花の沖』は、この高田屋嘉兵衛を主人公とした歴史小説です。
ゴローニン事件(Wikipedia)
長崎大水害 – 記録的豪雨で299人が犠牲に(1982年) 1982年(昭和57年)7月23日午後、活発な梅雨前線の影響で、長崎県長崎市を中心とした地域で記録的な集中豪雨が発生しました。
長崎市では3時間で300ミリを超える豪雨となりました。長与町では1時間に187ミリの雨を観測。1時間の雨量としては今も破られていない日本観測史上1位の記録です。
長崎市各所で土砂崩れ、河川氾濫が多発し、299人が犠牲となる大災害となりました。また、市中心部の機能がまひし、都市型災害の始まりといわれています。
現在、気象庁が発表している「記録的短時間大雨情報」はこの大水害をきっかけに創設されました。
長崎大水害(Wikipedia)
1987年7月23日首都圏大停電 – 都市機能がまひ(1987年) 1987年(昭和62年)7月23日13時過ぎ、東京都など首都圏で大規模な停電が発生しました。
この日、猛暑によって冷房需要が急増し、送電線の電圧が下がったことが停電の原因になりました。
東京、神奈川、埼玉、静岡、山梨の1都4県の280万戸で大規模な停電が発生し、鉄道やATM、信号機など都市機能がまひ状態になりました。
復旧まで都心では約30分、ほかの地域では最長3時間あまりかかりました。
1987年7月23日首都圏大停電(Wikipedia)
なだしお事件 – 自衛隊潜水艦と釣り船が衝突し30人が犠牲に(1988年) 1988年(昭和63年)7月23日15時38分、横須賀港沖の東京湾で、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船「第一富士丸」が衝突し、第一富士丸が沈没しました。
この事故で第一富士丸の乗客乗員48人のうち30人が死亡しました。
裁判では、なだしおの回避遅れが衝突の主原因と認定した判決が確定しています。
なだしお事件(Wikipedia)
全日空61便ハイジャック事件 – 機長を刺殺(1999年) 1999年(平成11年)7月23日11時23分、羽田発新千歳行きの全日空61便(乗客乗員517人)でハイジャック事件が発生しました。
離陸直後、搭乗していた当時28歳の男がコックピットに侵入し、機長を刺殺。男は機体の操縦をはかりました。
犯人は副操縦士や乗務員らに取り押さえられ、61便は副操縦士の操縦で羽田へ緊急着陸しました。
2005年に犯人の無期懲役が確定しています。
全日空61便ハイジャック事件(Wikipedia)
1年延期された2020年東京オリンピックが開幕(2021年) 2021年(令和3年)7月23日、新型コロナウイルスの世界的流行を受けて1年延期された「2020年東京オリンピック」が開幕しました。
国立競技場での開会式は新型コロナの影響でオリンピック史上初めて無観客で行われました。
大会は8月8日まで開催され、205の国と地域から1万1092人の選手が参加しました。
2020年東京オリンピック(Wikipedia)

7月24日の出来事

7月24日の出来事
清涼殿落雷事件 – 左遷された菅原道真が雷の神へ(930年) 平安時代の930年7月24日(旧暦6月26日)、平安京・内裏の清涼殿に落雷があり、大納言・藤原清貫らが亡くなりました。
平安京周辺では長い間日照りが続き、この日、清涼殿で雨乞いの実施の是非について太政官の会議が開かれていました。
すると雷雨が降り始め、清涼殿の第一柱に落雷が直撃。藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出ました。また、その惨状を目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3か月後に崩御されました。
死亡した藤原清貫がかつて大宰府に左遷された菅原道真(845~903)の動向監視を命じられていたこともあり、清貫は道真の怨霊に殺されたという噂が広まりました。
菅原道真の慰霊のため、道真は学者としての名誉を回復し、また、雷の神「天神」と同一視されるようになり、「天神=学問の神」として菅原道真が祀られるきっかけとなりました。
清涼殿落雷事件(Wikipedia)
第8回ミス・ユニバース世界大会で児島明子が優勝(1959年) 1959年(昭和34年)7月24日、アメリカのカリフォルニア州ロングビーチで行われた第8回ミス・ユニバース世界大会で日本代表の児島明子が優勝し、アジア女性初のタイトル獲得者となりました。
児島明子(Wikipedia)

7月25日の出来事

7月25日の出来事
版籍奉還 – 明治政府が中央集権化を図る(1869年) 1869年(明治2年)7月25日、版籍奉還が勅許されました。
1867年に15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上した後も、全国各地は藩主に支配されていました。
版籍奉還は、明治新政府が中央集権化をはかるため、大名(藩主)の土地(版)と人民(籍)の支配権を朝廷に返還させる政治改革です。
混乱もなく版籍奉還が行われたのは、各藩主が、版籍を奉還しても政府から再交付されると期待あるいは誤解していたためといわれています。
この後、政府は藩主をそれぞれの藩の知藩事に任命。知藩事は、大名による領地支配とは違い、非世襲の地方行政官として、政府直轄地と同様の政策を行うことが求められました。
版籍奉還によって政府の藩への統制力が強まり、1871年(明治4年)の廃藩置県へと進むことになります。
版籍奉還(Wikipedia)
和歌山毒物カレー事件 – ヒ素中毒で4人が死亡(1998年) 1998年(平成10年)7月25日夕方、和歌山県和歌山市で開催された夏祭りで、提供されたカレーライスに毒物が混入していたことから、67人が急性ヒ素中毒となり、うち4人が死亡しました。
現場の近所に住んでいた主婦が逮捕・起訴され、2009年5月に死刑が確定。しかし、犯行動機が明確になっておらず、直接的な証拠も存在しないという点などから冤罪疑惑も指摘されています。
和歌山毒物カレー事件(Wikipedia)

7月26日の出来事

7月26日の出来事
米・英・中が日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言を発表(1945年) 1945年(昭和20年)7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国の3首脳が日本に無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」をドイツ・ベルリン郊外のポツダムで発表しました。
ポツダム宣言は、日本の軍国主義の除去、領土の限定、武装解除、戦争犯罪人の処罰、民主化、連合国による占領などを規定しています。
日本政府は一旦これを拒否しましたが、広島や長崎への原爆投下(8月6日、8月9日)、ソ連の対日参戦(8月8日)を経て、8月14日にポツダム宣言を受諾。翌8月15日にラジオ放送を通じて国民に発表されました(玉音放送)。
そして1945年9月2日、東京湾上の米戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書の調印式が行われました。
ポツダム宣言(Wikipedia)
エジプトがスエズ運河の国有化を宣言 – 第二次中東戦争へ(1956年) 1869年(明治2年)、地中海と紅海を結ぶスエズ運河がフランスおよびエジプト政府の資金援助によって開通しました。
1956年(昭和31年)7月26日、エジプトのナセル大統領は、スエズ運河の国有化を宣言。これに対し、スエズ運河を所有していたスエズ運河会社の二大株主であるイギリスとフランスが反発。
イギリスはフランスとイスラエルに働きかけ、1956年10月末に3か国共同で出兵し、エジプトに侵攻。第二次中東戦争(スエズ動乱)が勃発しました。
3か国軍に侵攻されたエジプトは苦戦を強いられましたが、アメリカのアイゼンハワー大統領がソ連とも手を組み、停戦と英仏イスラエル軍の即時全面撤退を通告。アメリカがエジプト側に回ったことは、侵攻3か国にとって大きな誤算でした。
国際世論の圧力を受け、1956年11月に英仏イスラエルが停戦を受諾。
この結果、英仏はスエズ運河を失った一方、アメリカは欧州に対して圧倒的優位であることを世界に誇示しました。エジプトはアラブ世界から喝采を浴び、中東での発言力を確固たるものとしました。
第二次中東戦争(Wikipedia)
相模原障害者施設殺傷事件 – 19人が犠牲に(2016年) 2016年(平成28年)7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設で元施設職員の男が入所者45人を刺し、19人が死亡しました。
男は犯行の動機について「国の負担を減らすため、意思疎通を取れない人間は安楽死させるべきだ」と述べました。
2020年3月に横浜地裁で死刑判決が言い渡され、男が自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定しました。
相模原障害者施設殺傷事件(Wikipedia)

7月27日の出来事

7月27日の出来事
フランス7月革命 – 栄光の三日間が始まる(1830年) フランス革命で国王ルイ16世が廃位・処刑された後、第一共和政(1792~1804)、皇帝ナポレオン1世が支配する第一帝政(1804~1814)と続きました。
1814年に第六次対仏大同盟がナポレオン軍を破って第一帝政が終わると、1814年4月にルイ18世が即位しました(フランス復古王政)。
しかし、ルイ18世は革命以前に逆行するような政策を行いました。後を継いだシャルル10世も言論弾圧、旧亡命貴族の保護の強化などを始めました。さらに議会を強制的に解散させ、選挙権の大幅な縮小を命ずる勅令を発しました(七月勅令)。
これらの政策によってブルジョワジー(中産階級)の不満が高まり、1830年7月27日に学生や労働者を中心としたパリの民衆は街頭にバリケードを築き、パリで市街戦が始まりました。
7月29日にはルーブル宮殿が民衆の襲撃によって陥落。これがフランスで “栄光の三日間” と呼ばれる「フランス7月革命」です。
ギロチンを怖れたシャルル10世は退位し、オーストリアに亡命。後継政府にはルイ・フィリップが立ち、フランスは立憲君主制に移行しました(7月王政)。
その18年後の1848年、国王ルイ・フィリップは「二月革命」で退位し、フランスの王政は終わりを告げました。
フランス7月革命(Wikipedia)
朝鮮戦争休戦協定に調印(1953年) 1953年(昭和28年)7月27日、板門店で朝鮮戦争の休戦協定が調印されました。休戦協定は北朝鮮軍・国連軍・中国軍との間で結ばれました。
朝鮮戦争は1950年(昭和25年)6月に、北朝鮮が武力による南北統一を目指し韓国に侵攻して勃発。アメリカ軍を中心とする国連軍と韓国軍が北朝鮮軍や中国の人民義勇軍との間で戦火を交えました。
休戦協定によって、朝鮮半島は北緯38度線付近の軍事境界線で南北に分断され、国際法上、いまも戦争は終わっていません。
朝鮮戦争休戦協定(Wikipedia)

7月28日の出来事

7月28日の出来事
オーストリアがセルビアに宣戦布告 – 第一次世界大戦へ(1914年) 1914年(大正3年)6月28日、オーストリア皇太子夫妻がサラエボを訪問中に暗殺される事件が発生しました。
1か月後の7月28日、オーストリアがセルビアに宣戦布告。これをきっかけとして第一次世界大戦が始まりました。
最終的にはドイツ、オーストリア、オスマン帝国、ブルガリアの4か国の同盟国と、イギリス、フランス、ロシア、セルビアなど27か国の連合国との戦争に拡大。
日本も日英同盟に基づいて連合国の一員として参戦。ドイツが東アジアや太平洋に領有していた地域を占領しました。
1918年(大正7年)11月にドイツが降伏し、連合国が勝利しました。
サラエボ事件(Wikipedia)
橋北中学校水難事件 – 女子中学生36人が溺死(1955年) 1955年(昭和30年)7月28日、三重県津市の中河原海岸で、水泳訓練中の中学生たちが溺れる事故が発生し、女子生徒36人が死亡しました。
事故の原因は諸説ありますが、離岸流(岸から沖へ向かう強い流れ)に巻き込まれて溺れた可能性もあるとみられています。
橋北中学校水難事件(Wikipedia)

7月29日の出来事

7月29日の出来事
桂・タフト協定 – 韓国保護国化へ(1905年) 日露戦争中の1905年(明治38年)7月29日、東京で桂太郎首相とアメリカ大統領特使タフト陸軍長官が桂・タフト協定を締結しました。
内容は以下の3点を骨子とし、セオドア・ルーズベルト大統領によって追認されました。
(1)日本はアメリカのフィリピン統治を承認する。
(2)極東の平和は、日本、アメリカ、イギリス3国の合意によって守られる。
(3)アメリカは韓国に対する日本の優越的支配を承認する。
背景として、台湾を足場にフィリピンに対する日本の南下を危惧するアメリカと、日露戦争後の韓国支配を列国に認めさせたい日本の思惑が重なりました。
この協定は、その後の第二次日英同盟(1905年8月)、日露講和条約(1905年9月)などとあわせ、日本の韓国保護国化(1905年11月)、韓国併合(1910年)への布石となりました。
桂・タフト協定(Wikipedia)
少年ライフル魔事件 – 渋谷で銃撃戦(1965年) 1965年(昭和40年)7月29日、東京・渋谷で人質をとった18歳の男と警察との間で銃撃戦が繰り広げられました。
この日、犯人の男は現在の神奈川県座間市の山林で警官をライフルで射殺し、拳銃を強奪。男は車を何台もハイジャックして逃走。その後、東京・渋谷駅前の銃砲店で店員を人質にとって立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げました。
流れ弾を避けるため山手線は全線運休し、3000人もの野次馬で付近は騒然となりました。
夕方に男が逮捕されましたが、警察官、野次馬、報道関係者など15人が男の銃弾で重軽傷を負いました。
1969年に最高裁で男の死刑が確定し、1972年に刑が執行されました。
少年ライフル魔事件(Wikipedia)

7月30日の出来事

7月30日の出来事
全日空機雫石衝突事故 – 全日空機と自衛隊機が空中衝突(1971年) 1971年(昭和46年)7月30日、岩手県雫石町の上空を飛行中の全日空機と自衛隊機が衝突し、双方とも墜落しました。
衝突した自衛隊機はジェット戦闘機F86F。操縦していたのは訓練生でした。この事故で全日空機の乗客乗員162人が全員死亡。自衛隊機の訓練生はパラシュートで脱出して生還しました。
衝突の原因は自衛隊側の「ずさんな飛行訓練計画」「教官機の誘導ミス」「パイロットの操縦の未熟さ」の3点と考えられ、当時の防衛庁長官と航空幕僚長が事故の責任を取って辞任しました。
この事故を教訓に、自衛隊・米軍・民間の空路の完全分離など、数々の安全対策が設けられ、空の安全は大きな進歩をとげました。
全日空機雫石衝突事故(Wikipedia)
八王子スーパー強盗殺人事件 – 女子高生ら3人が犠牲に(1995年) 1995年(平成7年)7月30日21時15分頃、東京・八王子市のスーパーの事務所内で、女子高生2人を含むアルバイト・パート従業員3人が何者かに拳銃で射殺される事件が発生しました。
本件はまだ犯人検挙に至っておらず未解決事件となっています。犯行の動機について、警察は当初、強盗殺人容疑に重点を置いて捜査していましたが、現在では強盗および怨恨の両面で捜査が続けられています。
八王子スーパー強盗殺人事件(Wikipedia)

7月31日の出来事

7月31日の出来事
アルマダの海戦 – スペイン無敵艦隊の敗北(1588年) 16世紀後半、スペインとイングランドとの関係は宗教問題、オランダ独立戦争へのイングランドの介入、イングランド私掠船によるスペイン船や入植地に対する海賊行為などにより悪化していました。
スペイン王フェリペ2世はイングランド侵攻を決意し、当時世界最強と称された無敵艦隊(アルマダ)をイングランドに派遣しました。
1588年7月31日、スペイン無敵艦隊とイングランド艦隊が衝突した「アルマダの海戦」が始まりました。
イングランドは圧倒的に不利な海軍力でしたが、機動力をいかした砲撃でスペインを攻撃。8月7日にはカレー沖に投錨していたスペインの船団に炎上した船を送り込む「火船」攻撃で攪乱。数隻を座礁させて北へ敗走させました。
スペインはイングランド上陸を諦め、帰途につきました。ところがアイルランドの北側で暴風雨に遭遇し、艦隊の約半数を失いました。これよってスペインは制海権を失い、国力の衰退を招きました。
アルマダの海戦(Wikipedia)
加賀市沖不審船事件 – 北朝鮮の工作員を逮捕(1971年) 1971年(昭和46年)7月31日夜、石川県加賀市で北朝鮮の不審船と工作員の侵入事件が発生しました。
不審船を見つけた地元住民の通報で現場に駆けつけた警察がボートから降りた2人のうち1人を逮捕。残る1人は不審船に戻り、不審船は轟音とともに消え去りました。
逮捕された北朝鮮工作員の所持品から毒薬、短刀、乱数表などが見つかりました。この工作員は出入国管理令違反で起訴猶予処分となり、北朝鮮に自費出国しています。
加賀市沖不審船事件(Wikipedia)

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